脚本屋 六


 昨日の宣告を出来るだけ思い浮かべないようにしながら、京は机に向かっていた。
「……何を書こう」
 扉は施錠すべきか否か悩んだが、紫が入ってこなくなるのはどうしてか嫌だったので、そのまま開け放しておいた。
(紫……)
 紫のために書くとすれば何が良いだろう。何でもいいといっていたが、だからといって適当なものは書けそうになかった。
 いつもは適当に書いているけれど、今回は適当に書いたら恐らく後悔するだろう。
『仮にもし京が生まれ変わるとしたら……っていう設定で』
 敏秋の言葉が思い返される。京の好きなように書くということは、そういうことだ。
 しかし京は、紫のために書きたかった。しかしその紫も自由に書いていいと言う。どうすればいいのか、答えが浮かばない。
「書けない……」
 万年筆を握っては再び置くのを繰り返す。
 自由がどんなものかはっきり分かっていない人間が自由な脚本など初めから書けるわけがない。マイナスの考えに支配されそうになる。
(紫ならどんなものを書くだろう)
 紫ならどんな風に生きるだろう。どんな人生の主人公になるだろう。何がいいのだろう。
「完全な順風満帆にはしてやらない」
 京は意地悪そうに笑った。おそらく紫は順風満帆な人生でも喜ぶだろうが、どうせなら「生きている」と実感できるものがいい。
『頑張っても経験できないことを、経験したつもりに』
 ストーリーに入ると、そんな気持ちになれると言っていた。じゃあ、たくさん経験したつもりになってもらおう。いや、経験してもらうのだ。
 京はぐるぐると構想を練る。ちらりと扉の方に目をやった。紫の光は今いない。恐らくは脚本でも読んでいるのだろう。
「一番いい脚本にしてやる」
 自分でさえうらやむような脚本を書き上げようと思っていることに気づき、京は苦笑する。
(こういう関係って何て言うんだろう……)
 紫に対してはどうしてか少しだけ、気持ちがゆるんで素直になっているようだった。そんな自分を認めたくないと眉間にしわを寄せようとして、京はやめた。

 そのころ紫はふわふわと、応接室を漂っていた。
「京さん、今集中してらっしゃるんでしょうか」
 こっそりと、小声で問いかける。何だかその様子がおかしくて敏秋は笑った。
「多分今、紫の脚本を書いてるよ」
 ソファに座って軽く手を挙げる。敏秋の言葉に納得したのか、紫は無言で上昇していった。
(……)
 無言のまま、敏秋は紫を見つめる。脚本屋に不似合いな、本来なら用事なんてないような色の魂。
 自分が十年以上傍にいても変わらなかった京が、この紫の光に当てられて、表情までに影響が出ていた。
(寂しいなあ)
 喜ばしいことであるが、同時に自分の不甲斐なさも感じてしまう。
「そういえば、敏秋さんって脚本屋さんの店員さんなんですか?」
「店員っていうか雑用係? コピー取ったり接客したり、閻魔さんに連絡したり……。まあ、ふらふらしてるところを閻魔さんに捕まえられたっていう点では京と一緒」
「なるほど……。ライターさんではないんですね」
「そうだね、リアルゴースト雑用係」
 敏秋は紫の言葉をまねして笑った。

「……入ってくれば?」
 扉の前で右往左往している紫に、京は声をかけた。おそるおそるというようにゆっくりと、紫は京に近づいてくる。
「遠慮するようなタイプじゃないでしょ」
 京が鉛筆を置いたのを見とがめたらしく、紫は不思議そうに聞く。
「あの、万年筆は?」
「まだ下書きしてるから使わないよ」
「いつも下書きされてから書かれるんですねー」
「めったにしない」
 京は嘘をついた。本当はいつも、適当に書いているだけで、きっちり下書きなどしたこともないし、構想を練って懸命に考えたこともない。
 人の人生についてまじめに考えたことなどなかった。
「京さん」
「何?」
「ありがとうございます」
 唐突にかけられた感謝の言葉を京は理解できずに硬直する。
 黙っている間に紫は、空白を埋めるような言葉を投げてきた。
「私、ここでたくさん京さんとお話しできて楽しかったです。お友達になってくれてありがとうございました」
「……」
 真っ正面から投げられた言葉に、返す言葉を思いつかず横を向く。顔が少し熱いような気がする。
 恥ずかしいせりふをどうしてそう臆面もなく言えるのだと思う反面、悪い気はしていなかった。
「別にこれから絶対会えないってわけじゃないんだからさ、そういう言い方しないでよ」
「そうですね……またここに戻ってくればいいんですもんね。何度も何度も、京さんの脚本で生きられるならまた来ますよ」
「……」
 その声が、嫌でないと京は感じていた。
 もう少し一緒にいたいとどこかで思っている。たかだか数日一緒にいただけの相手に抱くにはばかばかしい感情だと、どこかで打ち消そうとしてもうまくいかない。
(嘘ついた)
 またここに戻ってきたって、京はいない。脚本が書き上がれば閻魔に罰を与えられることが決定している。
 本当に、もう会うことはできないのだ。
 何度も何度も、紫と出会うことができればよかった。近くにいれば、もっと楽しく生きられるのではないかと京は考えていた。
「……ほら、物置にでも行ってなよ」
 追い出す言葉を言うその表情がどこか緩やかになっていることを、京は自覚していた。

「……」
 眠りそうになりながら、京は下書きを重ねる。
 ひたすら紫のことを考えていた。どうか楽しく、生きているという実感を得られるような、そんな人生を送ってほしいという願いを込める。
 今までそんな人生の脚本など書いたことがないものだから、紙片は何枚も何枚も無駄になっていた。
「京」
「……何?」
 部屋に入ってきたのは敏秋だった。素っ気ない返事をしながら、京はひたすら下書きを進める。
「どう?」
「順調」
「そう」
 それ以外に言うこともなく、ただ敏秋は京の近くで立ちつくす。
(……)
 こうして京の隣に立つことすら久々であるように敏秋は思った。
 ここ数日で確実に変わった京を、寂しいようなうれしいような、もどかしい気持ちで見つめる。
(俺にはできなかったこと)
 仕方のないことではあるけど、それを成し遂げてくれた紫に感謝する。
 頭の中に、まだ幼かった頃の京の姿がよみがえった。
「敏秋」
「ん?」
「……本当は薄々分かってたよ」
 京が珍しく、敏秋の方を見て笑っていた。

 書き上がった内容は、今までで最も駄作だと、京は思った。ただ紫のために書き上げた「罰にならない脚本」。
 強欲な者を罰するはずの脚本屋には似つかわしくない、何とも稚拙な内容だ。これでは、生きることに意味を見いだしてしまうだろう。
「失格?」
 脚本を見せて問いかける京の姿に、敏秋は内容に触れずただ笑う。
「久しぶりに見せてくれたな」
 昔はよく、できあがりの脚本を持ってきては「これで大丈夫か」と問いかけてきていた。
 頼られているのだと思って悪い気はしなかったことを、敏秋はよく覚えている。そしてその時だけは、いつもの態度と違って、素直であったことも。
 それが硬化してきたのは果たしていつからだっただろう。ここの魂たちの影響を、京は良くも悪くも受けている。そうして育ってきた。
(紫)
 あの魂と出会ったことで、誰かが傍に近づいてくれたことで、京は少し成長した。
 敏秋が近づけなかった代わりに近づいてくれたあの魂に、敏秋はたくさんの感情を抱いていた。
「……質問は無視?」
 返事のないことに気づいたのか、京が窺うような視線でのぞき込んでくる。
「お前も年相応の女の子だな」
 敏秋がはっきりとした評価を下さなかったのは、「罰を与える」内容になってないからだった。
 その代わり、紫が楽しんで生きていられるような内容の人生になっていると、敏秋は心の底で評価を下す。
「ああそうですか」
「ふてくされるな。とりあえずコピー取ってくる」
「うん」
 書き上げたけれど、書き上げたことはつまり自由を剥奪されることと直結している。
 そして、紫からも自由が、意志が剥奪される。当たり前のことなのに、思い浮かべた瞬間、京の中によくわからない感情がわき上がってきた。
「あ……」
 敏秋を呼び止め、書き直そうかと躊躇する。
「どうした?」
「何でもない」
 躊躇するなどばからしいと打ち消した。
「これで、全部終わりになるんだね」
 はっきりと口に出していた。
 自分も、紫も。意志を剥奪したら言葉を交わすことも適わないし、会うこともない。
「目が寂しいって言ってるな」
 口に出されなかったその感情を、敏秋は長年の習慣で読みとった。
 初めて見るその様子に、ずいぶんと人間らしくなったものだと考える。京はいつものように不機嫌そうな顔を向けた。
「その表現気持ち悪い」
「悪かったな! ……相変わらず紫は物置にいるみたいだぞ」
 荒い語気とは対照的に、敏秋の顔は笑っていた。

「紫」
「はいー、あ、書きあがったんですかー?」
「うん」
「楽しみ!」
 いつもと変わらない様子に安心する。
(もう少し……)
 心の奥底にわき上がった感情を消そうと京は躍起になっていた。
 一緒に生きられないのは、一緒にいられないのは嫌というほどわかっている。この魂の意志を剥奪して、紫が生きる場所へと送り出さなければならない。
「京さん暗いです」
「いつも暗いよ」
「いつもより暗いです」
 はっきりとそう言われ、京はごまかすような笑いを浮かべる。
 紫には、こうやって生きられたらどれほどいいだろうと、自分が思う限りの夢を詰めて、「生きている」と実感できるような脚本を書いた。
(それで、そうやって脚本を書いているうちに)
 書いているうちに自分もまるで、脚本の中に吸い込まれたような気分になっていた。
 それは紫のこれから生きる人生を、先行して経験しているような感覚。経験していないことを経験したような気分になっていた。
 こうして、生きられたらどれほどいいだろう。願わくば、初めてできた友と一緒に。
「紫……」
 そう思う反面、紫が脚本を拒否してくれないかという期待もある。書き直してくれと頼まれればまだ少しだけ、一緒にいられる。
 ひとえにそれは別れが悲しいからだと、京は頭の隅で理解していた。
「でも脚本ができたってことは、京さんと一緒ってことですね。これからもよろしくお願いします」
「……え?」
 考えを引き裂くような言葉に、京はきょとんとする。
 その様子がおかしいのか、紫はくすくすと笑った。
「京さんの書いた脚本の中で生きられるなら、一緒にいるってことじゃないですか」
「あ……そういうこと」
 京の描いた人生を紫は生きる。それは共にあるということと同じだ。
 理解はできた。理解はできたが、どうしてか、認めたくない感情があふれかえってくる。どうして悲しいのか、それも、理解はできる気がしていた。
「京さん、本当にありがとう。確かに一度姿は見えなくなるけど、これからもよろしくです。また絶対に、お会いしましょうね」
「私こそ、ありがとう。……またいつか」
 空虚な約束だと京は思った。再び紫が脚本屋に来たとき、京はいない。それなのに悪い気はしないのはどうしてなのか。悪い気はしないのに、胸の中をえぐり取られるような感情がわき上がるのはどうしてか。
 京は少し潤んだ瞳のまま紫に笑いかけた。
「これからも……よろしく」



←5へ もどる 7へ→


inserted by FC2 system