脚本屋 五


 翌日、一件の来客があった。敏秋は京を呼びに部屋へ向かい、扉を開けて瞠目した。紫と京とがゆっくりではあるが会話をしている。
 さほどいらだっている様子でもない京に、敏秋はほっとしたような顔で言った。
「仲いいじゃん」
「帰れ!」
「ここ一応俺の家だって……」
 敏秋の声を聞いた瞬間京は豹変し、ぐいぐいと背中を押して部屋から追い出そうとする。
 どうやら恥ずかしいところをみられたと思っているらしい。くすくすと笑う敏秋に京は苛立ったような顔で憎まれ口をたたく。
「なんかそのお父さん目線むかつく」
「お父さんって……」
 手で顔を覆う敏秋に紫は不思議そうな声を上げる。
「そういえば敏秋さんっておいくつなんですか?」
「え?……えー……永遠のー」
「四十歳」
「ちょっとおおお! やめて! ものすごくやめてええええ!」
 敏秋が絶叫したのは、ひとえにそれが事実であるからだ。
 二十代後半くらいに見えるものの、ここで過ごした年月を加算すればちょうど今年で四十だ。
「そもそも、生者の世界の年に換算したらもっと……えーと、一年が六十年だから、享年の三十足す六百年で」
「やめろ、マジやめろ、死にたくなるからマジやめろ!」
「死んでるよ」
 ツッコミを入れながら、京は苦笑した。
「あー……。あ、京、お客さん来てるから一緒に来て」
「分かった。じゃあ」
「はーい、がんばってきてくださーい」
 扉を閉めて、京は表情を引き締める。応接室を目指して廊下を進み、扉に手をかけた。
 中にふわふわと浮かんでいるのは、淀んだ緑色の魂。
「俺は成功がしたい」
 京の姿を視界に入れた途端、聞いてもいないのに望みを告げる。
 よくあるパターンなので不快感を表情にせず、無言のままソファに座った。
「どういう風に?」
 少しだけ呆れたような口調で聞き返す。
「初めは貧乏なところから始まるんだ。そして努力が実って一発逆転大成功する、ジャンルは何でも構わない。最後には下積み時代の本を出して印税で生活」
「つまり、言い方は悪いですけど……願いは『成り上がる』ということですか」
 敏秋の挟んだ言葉に、緑色の魂は嬉しそうな反応を見せる。
「分かってんじゃん! なあ、書けるんだろ、そういうの。書いてくれよ」
「うん」
 あしらうように京は言った。皆が紫のようでないと分かっているが、落差に少し乾いた気持ちになる。
 紫が変なのか、こっちが変なのか。前者であるはずなのになんだか心がざらざらしていた。
「そこにあんたの意志は反映されないよ。自由に動かせないからね、体一つ、言葉一つ」
「それでいい。……ああ、それより」
 注意事項をさらっと流し、目の前の魂は問いかける。
「ここに紫色の魂が来なかったか?」
 きょろきょろとあたりを見渡しているようにも見えた。意外だと思い、京は姿勢を正す。
「来たけど……」
「やっぱりか。バカだなあいつ」
 気分の悪い笑い声を漏らした。どうしてか苛立ちながら、京は努めて冷静に振る舞おうと手を握りしめる。
「何か本ばっか読んでるつまらねえ人生送ってたとか言ってたから、ここ紹介してやったんだよ」
「あんたが……」
「面白いだろ、紫色が欲望叶える店に来るなんて」
 紫の迷い込んできた理由はどうやら、この魂だったらしい。
 口調に少しいらだちながら京は大きく息を吐く。魂はまるで大きな独り言を言うかのようにして言葉を紡いだ。
「俺はそんな人生ごめんだけどな。本ばっかりなんて無駄な人生にすぎるだろ? それで紫になれるとしても俺は生きたくないな、くだらない。優等生のいい子ちゃんの人生やってきたんだろうけど本当にバカだよなと思うんだ、そういうの。だから俺は……」
「うるさいなあ」
 どうしてかいらだって、京はそんな言葉を口走っていた、
 敏秋が驚いたような顔で京を見る。しまったと思ったときには遅かった。取り消そうとあわてて口を開く。
「こっちはわざわざ客として来てやってんのに何なめた口聞いてんだ!」
 いらだって別の言葉を口走ってしまった。
「……あのさあ、紫けなすようなバカに何で私が脚本書かなきゃいけないわけ?」
 売り言葉に買い言葉。何も知らずに「順風満帆」だなんて口走った自分の姿も重なって不快だった。
(あ)
 思わず出た言葉への狼狽と、何よりしてはいけないことをしてしまったことへの動揺で、京は頭がくらくらしてくるようだった。
 いけないと思い、冷静になろうと一度息を吸う。
「しつれ」
「ああ分かったよ! 帰るからな!」
 失礼しました、と言い繕おうとしたはずなのに、その相手はふわふわ飛びながら玄関へと向かっていった。
 結果的に、依頼を断ってしまった形になる。今心がやたらうるさいのは本音を言ったことへの興奮か、それともいけないことをしてしまったことへの後悔か、京には判断がつかなかった。
(何でだ……)
 自分が抑えられなかった理由がわからなかった。たかだか数日一緒にいただけの魂をかばう理由などどこにもないはずなのに、何であんなことを口走ったのか。
 どうかしていた。それでも、我慢はできそうになかった。
(……)
「京」
「うん……」
 敏秋の言葉で我に返る。依頼を断ってはならないという掟。何故ならここは、死してなお強欲なる者の意志を剥ぎ取り罰を与えるために設立された場所だからだ。
 それに現在、紫の脚本を書けなければクビだという宣告もされている。これ以上に心証を悪くすれば、果たしてどうなるのか。
「京、どうする? 閻魔さん、地獄耳なのに」
「……どうしよう」
 ざわざわと鳥肌が立つ。不安と後悔が一緒くたに押し寄せてきた。震えながら、目を泳がせることしかできない。
 予想外の反応だったのか、敏秋が慌てたように取り繕う。
「悪い、責めてるわけじゃないから。……とりあえず……どうしよう」
「どうせごまかせないので……連絡してください」
「敬語で言うな、怖いから」
 笑わせようとしてくれる敏秋の気遣いは感じ取れたが、京はそれどころではなかった。
 連絡を取りに外へと出る敏秋の姿を、ただ震えながら見つめていた。ただ心の中に、恐怖と言い訳以外の何かも浮かんできていた。

 しばらくして到着した閻魔は、敏秋の精一杯フォローした説明を聞くと、みるみる不機嫌な顔になった。
「ふーん? それって誰の影響なの、今までそんなことなかったじゃない?」
「……」
 影響と言われれば、一人しか思い浮かばない。それは閻魔もわかっているはずだった。京は何も口に出さず、ただうつむいている。
「うん、どう考えたって紫ちゃんだよねえ。……仕方ないなぁ、あの子の来世、僕が手配しようか」
「どういうことですか?」
「罰だよ。京ちゃんをそそのかした罰」
 笑うだけの閻魔に、背筋が凍る。今回のことは京が勝手にしただけであって、紫には一切関係のない出来事だ。
 紫が巻き込まれるのは何だか責任を押しつけるみたいで嫌だった。
「それだけはやめてください」
「じゃあ、君がやめる? まあもともと、脚本書けなかったらクビの約束だったから一緒かな?」
 京は解決策を必死に頭の中で巡らせる。一つしかないように思えた。
「書き上げます、書き上げて私がやめます、それでいいですか」
 紫への影響だけは何とか食い止めようと、早口で告げる。
 閻魔は面白くなさそうな顔でこちらを一瞥した。
「ふーん……でもなあ……。ああ、そうだ」
 閻魔は何かを思いついたらしく、あどけない顔を綻ばせる。
「君、自由がない前世だったから、自由にできないのが一番嫌いなんだよね?」
「……」
 黙ったままの京に、閻魔は満足そうな笑いを浮かべる。
「君に、自由を奪う罰を与えることにしよう。紫ちゃんの脚本を書き上げたら、それが最後だよ」
 京の何か言いたげな顔をおかしそうに見つめると立ち上がり、そのまま扉へ突き進む。
 慌てて敏秋が追いかけていった。がたんと扉が閉まる。一人京が残された。
「はあ」
 罰の宣告を受けてしまった。この間から驚くことの連続だと京は観察した。全く面白いことなどないはずなのに、何故かひきつったような笑い顔が浮かんでくる。追い詰められすぎたのだろうかと思いながら、大きなため息をついた。頭を振り、京はともかくも立ち上がる。
 とりあえず、書かなければ始まらない。自分が脚本を書き上げなければ、事態はおかしな方向に進んでしまう。
(紫には黙っとこう)
 あと数日しかない。
 まだ少しだけ震えている腕を押さえながら、部屋へと向かった。

 閻魔は後ろからの気配に立ち止まった。
「自由を奪う罰……ですか。ずいぶん甘いですね」
「当然だよ。罰は既に十年与えたもの。これくらいの軽い罰ですませなきゃ」
 振り向きもせずに答える。
「君にとっても悪い話じゃないと思うんだけどな」
「……」
「ずいぶん仲良くなったんだね、京ちゃんと」
 閻魔は振り向いて笑った。
「後は頼むよ」



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