脚本屋 四

『ほしいものはあるか』
『ない』
『そうか』
 ほしいものって何だ。
『相変わらずかわいくない……。菓子の名前くらい口にすればいいのに』
 菓子って何だ。
『母上、くらい言えば同情できるのにな』
 母上って何だ。
『何でも自由に手に入るってのに勿体ないよな』
 自由って何だ。
『ああ。あと一ヶ月だっていうのに結局何もほしがらなかったしな』
『俺なら絶対贅の限りを尽くす』
『俺も。この国全土の珍味を集めて美酒を集めて美女を集めて、毎日宴だ』
 聞いたこともない名詞ばかりだ。
『こんな狭いところでか?』
『天下の人柱様だぞ、場所の拡張ぐらいできるだろう』
 人柱って何だ。
『なるほどな。そして、人柱になる前日に逃げ出すと』
『当然。こいつのように大人しくはないからな』
 逃げるって何だ。
(わからない)
 何もわからない。何を話しているのだろう。
 分かったのは、あの二人が腹立たしいことと、バカにされていること、そして、一ヶ月後何かがあることだけだった。
『入れ』
 その一ヶ月後に見せられたのは、今でも忘れない木の箱だった。いつもと違う光景に戸惑って首をかしげていると、後ろから強く背を押され押し込まれた。
 怖い顔の大人。言うことを聞かないとぶたれる気がして、反抗せずに箱の中へと入った。すかさず蓋がされて真っ暗になる。がちゃがちゃという金属音。そういえば鍵がついていたなとどこかぼんやり思った。でも、今起きている出来事が何なのかは理解できなかった。
『持ち上げるぞ』
 籠もった声が聞こえた。体が誰かに支えられている感覚。箱を通して伝わってくる暖かさにどうしてか眠くなり、ついうとうとと目を閉じてしまう。
 目を覚ましたとき、水の音が聞こえた。きれいな音だと感じた。だが、その音を邪魔する別の音がある。ぶつぶつという男の人の声と、金属を一定のリズムでたたく音。
 うるさいなあ、と思った次の瞬間に音は止み、体が浮いたように感じた。次に聞こえたのは何かを水に投げ入れたような音と、こもった衝撃音。
 しばらくすると、水の音しか聞こえなくなった。もうしばらくすると、体が冷たくなってきた。だんだんと、息がしづらくなっていることに気がついた。おかしいと思って扉をたたく。強い力が邪魔をしている。
(くるしい)
 息ができない。体が重い。息が詰まる。
(出して、苦しい、止まる)
 時間が止まるように感じた。それだけでなく、何かが押しつぶそうとしているようにも思えた。すべてが止まるような気がして、目からあふれてくるのは何だったか、水にもまれてすべてなくなっていくように感じた。
(どうして)
 お願い、息がしたい。どうしてみんなのできることが自分にはできないのだ、ふざけるな、息だけでいいからさせてほしい。
 そうして次第に視界は暗くなり、呼吸が楽になったような気がした。
「……」
 がばっと京は体を起こし、大きく息をついた。そこにあったのは机と書棚と扉。夢見最悪だと思いながら苦笑いをした。
「京さーん」
 何で死んだというのに何度も何度も夢を見なければいけないんだ。しかも死ぬときの夢なんて。
 そう思うといらだちさえ覚えてくる。
「京さん」
 目の前をちょろちょろと紫の光が飛び回っている。視界に入れながらも京は気づかないふりをした。
 生きることを教えられないままただ他の大人の言うなりになっていたのは今も変わらない。しかし、今の方があの時よりも楽だ。脚本を自由に書ける。脚本の中に自由がある。
「京さんってばー」
「うろうろしないでよ」
 考え事に集中できない。
「ごめんなさい。でもちょっと聞きたいことがあって」
「何?」
 今更新たな願いが浮かんだとでも言うのだろうか。気を引き締めて京は紫に顔を向ける。
「脚本ってパソコンか何かで書いているんですか?」
「……は?」
 真剣な質問かと思った自分が少し悔しかった。
「いや……パソコンは使ってないけど」
「あ、でもパソコンあるんですか、こっちって」
「一応人間界のものは取り入れてる。……っていうか、急に何?」
 真剣な考え事を中断されたあげく、された質問はどうでも良いようなもの。
 京は不快感を露わにするが、紫はお構いなしに言葉を続ける。
「なるほど……人間界をこっそり覗いてるんですかー」
「……まあ、勉強しなきゃ脚本も書けないし、閻魔さんにも言われてるし」
 意図が読めないものの、とりあえず質問には答えておく。
「あと、敏秋が一応成仏待ちの幽霊だからいろいろ聞いたりしてるけど……」
「そういえば敏秋さんとはどういう関係なんですか?」
「……兄的な存在?」
 いつからか、脚本とは全く関係のないやりとりになっていた。
 誰かとこうして、普通の話をしたことなど今までに一度もない。どうすればいいのかわからずただ言葉を返す。何故こんな話をしているのか、京が質そうとした途端、紫に阻まれた。
「お兄さんですか! いいですね!」
「いや、小うるさいよ。小姑並に」
 ついでなので憎まれ口を叩いておいた。
「えー、でも仲がいいじゃないですか!」
「……そう見えるのか……残念」
 どうやら、ただ喋りに来ただけらしい。何だかほっとしてよけいな言葉が出てくるようだった。
 どこか暖かく、もう少し話してみようかという感情が生まれる。そのことに気づき、京は再び眉根を寄せた。
「紫、用がないんだったら本でも読んでたら? 私、構想とか練りたいし」
 不機嫌な顔でため息をつく。紫は一瞬間をあけた後、ふらふらと飛びながら言った。
「京さん名前呼んでくれましたねー」
「……だから何」
「初めてなんで嬉しかったです! では、おじゃましました!」
「……」
 ささっと扉の向こうへ消えていく紫を、京は気抜けしたような顔で見送る。また少し冷たい言い方をしてしまっただろうかという思いは首を振って打ち消す。
 ゆるんだ心にいらいらして、京はバツが悪い思いをしながら唇をかんだ。
(腹が立つ)
 どうしてだかいらいらしている。紫が余計なことを言うから、そして余計なことを言わせようとするからこうなるのだ。
 できれば近くに来てほしくないと京は思っていた。
「……どうも、小姑です」
「いたの」
 部屋に入ってきた敏秋に、京は不機嫌そうな顔を向ける。
「紫、嬉しそうに跳ねてたよ」
「興味ないし」
「そうなの? でも、仲良くなれそうだね」
「……敏秋」
 つとめて冷たい声を作り上げて呼びかける。
 本心から言ってくれているのだろうと心の底でわかっていたが、京はどうしても嫌みを言わずにいられなかった。
「あんまり仲良くなられると困るんじゃない?」
「何のこと?」
 平然とした顔で答える敏秋に、京はあきらめとも何ともつかない表情を返す。
 沈黙に気づいたのか、敏秋はそのままきびすを返した。
「じゃあ」
 そう言って、敏秋は京の部屋の扉を閉める。京は再び布団に横になり、少しふやけている心を自覚していた。
「何なの……」
 嫌じゃないと思う自分が嫌だった。でもどうしてそれが嫌なのかと問われれば、答えは全くどこにもないような気がしていた。
 ただ気恥ずかしいようないらだっているような、不思議な感覚のまま、笑顔ともつかない表情を作る。
「バカじゃないの」
 京のつぶやきは扉の向こうに漏れていた。敏秋は部屋の扉にもたれて息を吐く。そのまま天井を見上げた。
(紫が変えてくれたらいい)
 自分にはできないから。
 心の中でつぶやいて、敏秋はリビングへと戻っていった。
「……興味、ないし」
 もう一度京はつぶやく。初めて、ああやって喋ったからって別に、興味などわくわけがない。
(でも……少しだけ)
 少しだけ、楽しいと思う部分はなきにしもあらずだったような気がする。素直に認められず意固地になって言っている自分を京は自覚していた。

「京さん」
「ああもう……」
 翌日も、紫は京の部屋へと入ってきた。
 面倒くさいとは思ったがあんまり邪険にするのも気が咎めるので、京は原稿用紙から顔を上げて入り口の方を振り向く。
「私と話してもおもしろくないでしょ」
「そんなことないです、おもしろいですよ!」
 どうやら本心からそう言っているらしい紫に閉口しながら、京は窓の外を見やる。
 ふわりふわりと、他の魂が通り過ぎていくのが見えた。どうしてこの魂は通り過ぎなかったのかと京は真剣に考える。
「これ、万年筆ですね? これで書いてるんですか?」
 話しかけられて振り向いた。机の上には使い込まれた万年筆が無造作に置いてある。
「そう。……結構傷入ってるでしょ、あんまり見ないで」
「でもかっこいいですよ! 誰かにもらったんですか?」
「あー……。ちょっと前、閻魔さんが人間界に行ったらしくて、お土産に」
「ふふふ」
「何?」
 急に笑い声をあげた紫に、京は怪訝な表情をする。
「京さん、ちゃんと相手してくれるのがうれしいです」
「……」
 「帰れ」と言いかけて、昨日冷たい反応をとったせいで少しばかり後悔したことを思い出す。
 そのまま言うタイミングを逃し、京の中になんだか歯がゆいような、もどかしいような中途半端な感情がわいてきた。
「あっそ」
 きまりが悪いのをごまかす言葉を見つけ出して、そっぽを向く。
「おみやげって結構もらうんですか?」
「まあ……。うん」
 話が転換したことで、どうにかもどかしい感情を奥底にしまえた。
「何かよくわからない人形とかももらうんだけど、万年筆だけは珍しくまともだったからもらっておいたんだよ」
「なるほど」
「……あ、いや人間界でパソコンが主流なのは知ってるよ、一応」
「使い慣れたものの方がいいですもんね」
「うん……」
 また、余計なことを話しているような気がした。いつの間にか紫のペースに巻き込まれていると感じ、一度京は息をつく。
 冷静になろうとしているのに、どうしてか心が少し騒がしかった。邪険にあしらう気が起きなくて、そのまま黙り込む。ふと思いついたことを口にした。
「あんた脚本のこととか聞かないの」
「それはできてからのお楽しみにとっておきたいんです!」
「そう……」
「京さんならきっといいものを書いてくれるって信じてますから!」
 ためらいなく言い切ってみせる紫に、どこか呆れたような目を向けながら京は目をそらす。もしかするとこの魂は、しょうがないとあきらめるしかないのかもしれない。
(……)
 そう思うと、一気に張りつめていた気持ちがゆるんでくるような気がしていた。意地を張ったところで、交わされるのなら仕方がない。
(もういいや……)
 何だか少しめんどくさくなるような気がしてきて、ため息とともに純粋な疑問をぶつけた。
「あんたみたいに、順風満帆な人生送ってたらそうなれるのかな」
 どうしてこうも、まっすぐに飛び込んでこられるのか疑問だった。
「順風満帆、でしたかねえ?」
「そうじゃないの?」
 本ばかり読んでいたと聞いた。きっとそれが許される環境にあったのだろう。「親に本をもらっていた」ということはきっと家族との仲も良かったはずだ。そして、身を粉にして働く必要性もなかった。
 何より、積極的で明るく、どこかの脚本屋のように捻くれていない。魂の色だって高尚な紫で、文句をつけるところなど見つからない。
(……あ)
 なんだかんだで認めている自分が悔しくて、少し冷たい口調で問いかける。
「いい学校出て、いいところに就職して、っていう感じの人生だったでしょ?」
「学校ですかー……確か、転校生と曲がり角で正面衝突して恋が始まったり、学園の王子様がいたり、隠された謎があったりするんですよね?」
「……え?」
 きょとんとして京は紫の方を振り返る。
「あと文化祭とか体育祭とか、修学旅行とかでどきどきハプニングが起きるんですよね? そして調子に乗りすぎたら体育館裏か女子トイレに呼び出されて……」
「待って、……学校、行ったこととか」
 紫の言葉は、まるで聞きかじりしただけのことを喋っているかのようで違和感がある。
 京の訝る声に、紫はふわりと上昇して答えた。
「門の前まで車で送ってもらいましたよ。桜がすごく綺麗でした! 外に出してはもらえなかったですけど」
「……何で?」
 少し表情筋が痛くなるほど京は眉根を寄せる。
 よほど怪訝な顔になっていたらしい。紫は小さく笑い声を上げた。
「病気だったんですよ。皆が高校を卒業する頃までずっと」
「その後は?」
「十八歳が享年です。本読んでたおかげで漢字はいっぱい読めるんですけど、計算が苦手で苦手で……大学もいいところ行けなかったかもしれないですねえ」
 何でもないことのように言う。
「でも確かに、順風満帆かもしれません。お父さんもお母さんも優しかったですし。あ、欲を言えばお姉ちゃんか妹が欲しかったかなあ……双子でもいいですけど」
「……病気で、病院でずっと本ばかり読んでたの?」
「本を読むのは好きでしたけど、それ以外にもやれることは全部やりましたよ! 病院でじっとしてるだけなんて退屈ですもんー。親にたくさんわがまま言って困らせましたし、怒られましたし、……泣かせちゃいました」
 紫の言葉が入ってくるたびに、自分の発しようとした言葉が打ち消されていく。 
 何も言えないまま、ただ聞いているだけだった。
「あとそうだなあ、幸いパソコンのできる環境だったので、インターネットで同じ病気の人とコミュニケーション取ったりだとか。好きな作家さんに手紙書いたりとか」
「すごいね」
 気づいたら勝手に口が動いていた。
「だって部屋で何もせずにいるのなんてもったいないでしょ?」
「……無駄だと思わなかったの?」
 傷つけるかもしれないと思ったが、口にした。京はただ不思議だった。ずっと病院にいたのなら、きっと人より死が身近に感じられたはずだ。
「何でですか?」
「何でって……」
 部屋からは出られないというのに、どうして自由を求めてもがくのだろう。
 その疑問はまるで、今の自分を表しているようでもあった。ただ店から出られないまま、魂たちを羨む生き方。
「京さんは何かやりたいとか思わないんですか?」
「思わない。無駄だもん」
 たとえ何かをやりたくても、脚本屋からは出られない。
 ならば初めから欲しがらない方がいい。欲なんて願いなんて、叶うはずもないのに持ちたくない。
「私は思ったんです」
 強い口調だと思った。
 どうしてか、負けたような気持ちになっていた。悔しいという感情と羨ましいという感情が交錯する。
「色々やりましたけど、本を読んでそのストーリーに入り込むのが一番好きみたいで」
「そう……」
「頑張っても経験できないことを、経験したつもりになれますから。……そして、いつか経験してやる、って思ったんです」
 何とか否定しようと思ったが、否定できる言葉が見つからない。
 自分の中にある何かが変わってしまいそうで恐ろしく、京は耳を塞ぎそうになった。
「じゃあ……何で脚本なんか頼んだの? せっかく色々出来るチャンスじゃん」
 寧ろ今すぐ目の前から遠のいて欲しい。これ以上傍にいられると、悔しい思いでいっぱいになる。
 紫がうらやましい。そんな気持ちでたくさんになる。
(逃げたい)
 これ以上この光に当てられていると、自分が否定されている気分になる。こんな不似合いな所にいないで、さっさと生まれ変わってくれたら。出会わなければこんな、苦しい気持ちにならなかったのに。
 紫がうらやましくて、自分が悔しかった。今まで何をしてきていたのか、そんなこと考えたくない。
「脚本通りの人生なんて楽しくないよ。誰かの脚本に生かされるなんて、自分の意志のない人生なんて」
「私は、あなたに脚本を書いてほしいと自分の意志でお願いしたんですよ」
「屁理屈じゃん……。次の物語ぐらい、自分で紡げばいいでしょ。その権利があるんだから」
 脚本屋なんかに脚本を頼んでないで紫自身で人生を決めればいい。
 京にはできないが、紫にはそれができる。生きることができるのだ。自分で物語を書く権利がある。ならば、自分で書くべきだと京は思っていた。
「はい、ですから主人公の義務として面白そうなことに首を突っ込んでみたんです」
「…………は?」
 かつてこんなに歪んだ顔をしたことがあっただろうかと京は自分で疑問になるほどの表情をした。
「今、制約付きの体はありません。せっかく色々出来るチャンスですから、面白そうなことをやってみたいんです」
「そんな理由で自分の意志を捨てられるものなの……?」
 ちゃんと理解しているのか不安になり、確かめるようにゆっくりと問いかける。
「はい。それが私の意志です。……私、やりたいことって我慢できないんですよね。それにあの石、またこっちの世界にきたら返してもらえるんでしょう?」
「それはそうだけど」
 誰から聞いたのだろうという疑問の前に、紫の言葉が飛び込んでくる。
「だったらやってみたい! 京さんの書く物語の中に入って、京さんの書く脚本を演じてみたいです」
「私がひどい脚本を書いたらどうするの」
「京さんはそんなことしませんよ! だから大丈夫!」
「……何で?」
 羨ましさも悔しさも通り越して、憎らしくなってくる。どうしてこんな考えが出来るのか、疑問でしかなかった。
 どうして自分もそうなりたいと少しでも思ってしまったのか、京はびりびりする感情をもてあましていた。
「私はストーリーに入り込むのが好き、そしてせっかくストーリーに入り込めるというチャンスが巡ってきた、じゃあ飛び込まなくてどうするんですか」
 何も言えなかった。紫にとってそれが正解なのだろう、それは分かる。分かるから悔しい。
(……)
 京はため息をついた。あきらめにも似た、しかしもやもやとしていない気持ちが心の中を占めていく。心臓が音を立てているように感じた。心が少しずつ騒がしくなってくる。
(もう少しなら……)
 紫と、もう少しだけ一緒にいてもいいかと思った。



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