悪魔と先生と、狛犬 2


 外見に反して、どうやら箸は器用に使えるらしい。意外とまめで、家事も慣れた手つきで行っている。
 細かいことを気にしない性格の母親にとっては、「家のことをよく手伝ってくれる男の子が増えただけ」という感覚なのだろう。
 結華自身も、「お帰りなさい」の声が多くなったこと以外に何も面食らうことはなかった。
「お父さん、驚くかな」
 夕食後、ユリは率先して皿洗いをしてくれていた。いつものお手伝いをする必要もなくなったので、ぼんやりとテレビを見つめながら結華はつぶやく。
 まだ結華の父は帰宅していないが、家族がいつの間にか増えていればさすがに驚くだろう。
「あら、もう今朝話しちゃったわよ」
「そうなんだ」
 独り言が聞こえていたらしく、廊下から母親の声がした。
 言葉を返しながら、父が許可を出したのなら安心だろうと結華は息をついた。
「私が言うのも何だけど、あなた方もう少し警戒心持った方がいいわよ」
 キャシーに言われ、結華はぼんやりと考える。
「んー……まあでも、お父さんがいいって言ったならいいかなって」
「……そう?」
 確かに、もうちょっと色々詮索するべきことはあるのかも知れない。だが、聞いたところでどうにもならないだろう。
 悪魔を名乗る人と関わったことなどないし、色々詮索したところで理解できないかも知れない。何より、少々面倒でもある。
「それに、別に何かをだまし取ろうとしてるわけじゃないみたいだし」
「家事も手伝ってくれてるし?」
「うん。何か面倒があったら出ていってもらったらいいし」
 結華がさらっと言い放ったのが意外だったのかキャシーは驚いたような口調でつぶやいた。
「……優しいお人好しさんかと思いきや、さめてるだけなのね」
「さめてる? ……確かにちょっと、悪いこと言ったかな。せっかく手伝ってくれてるのにね。ごめん」
「別に謝らなくていいわよ。けど結華ちゃん、変わってるって言われない?」
「よく『めんどくさがりだよね』とか『大ざっぱ』って言われる」
「……分かるわ。あなたみたいな人、初めてだもの」
 キャシーの言葉にいまいち納得がいかず、結華は首をかしげる。
(……)
 確かに警戒心は欠如していたかも知れない。でも、成り行き上こうなってしまったら、今更抗うのも面倒である。
 何より、直接的に危害を加えられたわけでもないし、その気配もない。「魂をください」と言われたが奪われる様子もない。
 それならばわざわざ距離を取る必要性もないと思っているだけなのだ。
「結華ちゃん、実はあんまり私たちに興味ないでしょ」
「そんなことはないよ、面白そうな人たちだなーって思ってる」
 結華は慌てて取り繕う。
 少しばかり、心の中を見透かされたような気がした。
「人ではなく悪魔ですよ! 先生のハートに僕の入り込む余地がなさすぎてそろそろ圧迫死しそうです」
「……そうだったね」
 もしユリが人間であるなら、人影ができているだろう場所を見つめて、結華は小さくうなずいた。
「鏡にも映らないし写メも撮れないもんね」
「悪魔として生を受けてからもう長い間経っていますが、写真なんて撮ろうとしたのはあなたが初めてですよ先生。……ということは先生が僕の初めてを……!」
(気持ち悪いって言ってもいいかな)
 結華が少しばかり冷たい視線を投げつけていることに気づいたのか、ユリは仕切り直すように咳払いをした。
「ともかくです、やはりあなたは僕が今まで出会ってきた人と毛色が違う。さすが我が師です!」 
「いや……私、普通の女子高生だと思うけど……」
 ユリの言葉に納得がいかず、結華は眉根を寄せる。確かに少々大ざっぱであるとは言われているが、こんな性格の人間なんて探せばそこら中に転がっているだろう。
 少し考えてから、ユリは言葉を紡いだ。
「……何と言えばいいのか……。悪魔に魅入られる人ってやっぱり、『そういう』人なんです。だから新鮮なのかも知れません」
「どういう人?」
「そうですね、端的に言えば、心が弱っていたり、何らかの傷を負っている人」
「なるほど」
 そうでなければ、悪魔のささやきに耳を貸したりはしないだろう。
 妙に納得して、結華は小さくうなずく。
「……他の人のところに行かなくていいの? 私、寿命尽きるまでずっと死なないよ」
「行けないんですよ。先生の魂を奪わない限り今度は座布団!」
「いや、何か身の危険を……」
 結華が投げた座布団はまたも見事にユリの顔面にヒットしたらしかった。
 「魂を奪う」と言われて本能的に危険を感じたのかもしれない。そろそろと距離を取る結華に、ユリは涙目で訴える。
「遠い! 心が遠い! ……悪魔はささやき、誘惑するだけです! 直接的に手を下すことはありませんから!」
「え、そうなんだ」
 そういえば、初めて出会った時も「お手伝い」と言っていたなと結華は思い返す。
(なるほど)
 何だか妙に腑に落ちた。もしもすぐさまに人の魂を奪える力があったなら、わざわざこうして居候になる必要性はないだろう。
 ユリは困ったように笑った。
「僕、死神ではありませんからね。人の魂を狩るなんてことはできませんし、何より直接的に手を出すなんて悪魔の美学に反します」
「美学……?」
「言動でもってたぶらかさなくて何が悪魔ですかって話ですよ」
 ユリは力を込めて言い放つ。
(……)
 しかしその割に、橙の瞳には力強いものが宿ってはいないような気がして、結華は違和感を覚えた。
 結華がそれを指摘する前に、ユリは視線をそらす。
「ともかく、僕、先生のような方は初めてなんです。たぶらかされてくれないし、傷を負い、弱っているわけでもなさそうだ」
「……何かごめん。残念だったね」
 ユリには非常に申し訳ないが、結華は現状に全く不満もなく、楽しく毎日を過ごしている。
 わざわざこの満ち足りた日々を捨ててまで、ユリにたぶらかされようとは全く思わない。
「いえ、だからこそ先生に弟子入りさせていただいたのです!」
 結華の魂を奪わない限り、他の人のところにも行けないし、帰るわけにも行かないが、当の結華には魂を渡すつもりもなければ予定もない。
 どこにも行けないから、ここにいるしかない。つまりはそういうことなのだろうと結華は一人納得した。
(弟子入りかあ)
 行く当てがないらしいユリの事情は理解できるが、わざわざ師弟関係になる必要などあるのだろうか。
「『先生』『先生』って言ってるけど、私何も教えられないよ? 単に生きてきただけだし」
「僕が知りたいのはまさにそれです。生きることについて教えてください!」
 ユリはただ、興味があるのかも知れないと結華は思った。
 今まで、心が弱ったり傷を負っている人とばかり接していたのなら、確かに結華のような人物は珍しく映るのかも知れない。
(そういうことか)
 関心があるから、興味があるから、知りたくなったのだろう。
 どこにも行けないし、どうせなら知ってみようと思ったのかも知れないと結華は思い当たる。
 そして思い当たってみると、何となく腑に落ちるような気もしてきた。
「一介の女子高生が扱うにはテーマが重々しすぎるけど……」
 苦笑しながら、結華は橙の瞳を見つめていた。



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