初対面の相手でも態度を変えない性格が災いしたのは二度目だった。
南条なんじょう結華ゆかさんですね?」
「あ、はい。……どちらさん?」
「はじめまして、僕は悪魔です。……死のお手伝いをするため、この世に来ました。さあ、あなたの魂をください」
「お断りします」
「すばらしい……! ならば僕を是非弟子にしてください!」
「面倒なんで嫌です」

 

悪魔と先生


 あっさり断った結華の言葉に、目の前の人物は目を丸くしていた。
「そんな予想外そうな顔をされても……」
「予想外です」
「流暢な日本語を喋ってるなと思ってたけど急に片言になったね。外国の人?」
 少しばかり困惑しながら、結華は目の前の男の不可思議な姿を改めて観察した。
 銀髪に橙の瞳、装いはスーツ。まるで、おとぎ話の世界から抜け出てきたかのようで、日本のこんな片田舎にいるには少々不似合いである。
 近くに神社もあることだし、もしかしたら観光か何かの途中なのだろうか。
(それはないか)
 結華の名前を知っていたことから考えても、恐らくは自分を捜していたのだろう。
 だが結華自身、目の前の人物に全く覚えはないし、だいたいどうして名前を知られているのかすらも分からない。
(塾とかセールスの勧誘でもなさそうだけど)
 男が先ほど告げた要求を思い返しながら、結華は帰っていいのかどうかをただ判じかねるばかりだった。
「ごめんなさいねえ、この子少々突飛なことを言い出す癖があって……。でも、悪魔っていうのはホントなのよ? 信じてあげて」
「あ、そうなんだ」
 固まっている男からではなく、どこからか聞こえてきた声に結華はあっさりと返事する。
(ん?)
 どうも男の足下かららしいということに気づき、結華は訝りながら視線を下に移動させた。
「あら、私の見た目に驚かないであっさり話してくれるなんて素敵ないい子じゃない」
「いや、さすがに驚いてる。というか結構この状況にも驚いてるんだけど」
 小型犬ほどの大きさの、四つ足の骸骨。背中にはコウモリの羽が生え、また頭には小さなシルクハットを被っている。
 今まで見たことも聞いたこともないような動物に、結華はどうリアクションしていいのかわからなかった。
「自己紹介が遅れてしまってごめんなさい、私はキャシーよ」
「……喋るんだ……」
「そうよ、喋るわよ。そこは驚いてくれるのね、この状況をあまりにあっさり受け入れているから一抹の不安を覚えていたわよ」
 受け入れるも何も、拒否したところで目の前の状況が変わるわけはない。
 相も変わらず硬直したままの男からキャシーに目を移し、結華は首をかしげる。
「うん、私も若干一抹の不安を覚えているんだけど、この状況はいったい何? 帰っていい?」
「ごめんね、まだ帰らないでほしいの」
「宿題があるんだけど……。悪魔さんとキャシーは私に何か用なの?」
 キャシーから目の前の男に目を移すと、悪魔と名乗った男ははっと気がついたようにしゃべり出した。
「おおっと、これは改めて説明せねばなりませんね! 僕はユリ、職業は悪魔です。あなたの魂をもらうために地獄からやってきました」
「いや、死にたくないし。毎日超充実してるし……」
「存じております! 悪魔に魂を狙われながらあっさりそれを退けることができるあなた! すばらしい! 是非とも弟子に」
「それもちょっと……面倒そうなのでお断りします」
 一介の高校生にすぎない自分に教えられることなど何もないし、そもそも弟子入りされても非常に困る。
 首を振って拒否する結華に、ユリは不敵に笑った。
「そうおっしゃると思いました……。けれどご安心ください、おはようからおやすみまで全てあなたの生活を勝手にサポートする押しかけ弟子に僕はなる!」
「それはずいぶん開けっぴろげで思い切りのいいストーカーだね」
 はっきりと断じながら結華は大きく息をついた。珍しく、唐突な出来事に面食らってしまっているらしい。
 どう対応したものかと、結華は思考を巡らせる。
(よく分からない人だな)
 妙な生き物を連れて、悪魔であると名乗り、いきなり弟子入りを志願する。見ている分にはちょっとおもしろそうだが、接するのは面倒くさそうだ。
 ましてや弟子など、いったい結華のことを何の師だと仰ぐつもりなのか。
(困ったな……)
 弟子を取るつもりもないし、関わると面倒そうだし、断りたいのだが、うまい言葉を結華には見つけられなかった。
 かくなる上は強硬手段かと、歩き始めた結華の背中にユリは声をかける。
「お待ちください先生! 僕はあなた、南条結華さんの魂を狩るために派遣されてきたのです! それが任務失敗で地獄に戻ることともなれば……僕は……!」
「えー……?」
 必死に食い下がられて、思わず結華は歩みを止める。
(任務?)
 言っている言葉の意味は理解しかねたが、ユリの方にも事情があるらしいことは結華にも理解できた。
 自分が断ることでもしユリの方に何らかのトラブルが発生するならば、それは少しばかり後味が悪いような気もする。
(しかし悪魔って……。どういうことなんだろう)
 キャシーという、見たこともない生き物を連れていること、そしてその外見から、「悪魔」という言葉を全くの偽りであると判ずることは結華にできそうになかった。
 もし、本当に悪魔だというのなら、ここで何らかの答えは出しておかなければならないのかもしれない。ようやくそう判断し、結華は困ったような顔で告げる。
「さっき言ったけど死にたくないんだよね」
「ならば弟子にして僕をおそばに置いてください!」
「えー……」
「そのトーンの下がりっぷりに僕のハートがそろそろブロークンしそうです」
「瞬間接着剤とかでくっつければいいよ」
「あら安上がりね」
「そうね。……キャシー、この人何なの?」
「悪魔よ。あなた好かれたのよ。悪魔に魅入られちゃうと逃げられないの」
「そうなんだ、じゃあ悪いけど別の人にしてください」
 ここまで必死に食い下がられると正直申し訳なくもなるが、悪魔に魅入られたからという理由でいきなり弟子を取る人もいないだろう。
 それに何だか、ここでユリの要求をあっさり受け入れてしまうのは、少し危険であるような気がしていた。
 「悪魔」という言葉が真実かどうかはさておき、ここで承諾してしまうとさらなる面倒に巻き込まれてしまうような気がする。
(申し訳ないけども)
 結華が折れそうにないことに気づいたのか、ユリは少々トーンダウンする。
「しかし……これだけ言ってもさらっと退けてみせるその心意気……惜しい……。是非とも僕の師になってほしいものです……!」
「普通いきなり言われたら誰だって退けると思う。私じゃなかったら通報すらしてると思う」
「なるほど、いきなりじゃなかったらいいんですね?」
「ポジティブ……」
 自分に都合のいい部分だけを聞いていたらしいユリに、結華は小さくつぶやいた。
 断れそうな雰囲気になったことを察し、結華は再び歩き出す。
「何ていうか、……面倒そうだし、弟子とか持ったことがないし。ごめんね」
「……いえ、お気をつけて」
 振り返ることなく、少しばかり足早に歩いていく結華の後ろ姿を見つめながら、ユリは小さくつぶやいた。
「今日は引き下がりましょうか」

 携帯のアラームを止め、結華はのそのそと体を起こした。
 覚醒するに従って昨日の奇妙な出会いを思い返してしまい、無意識のうちに周囲を確認する。
(まあ、でもあれ以降何事もなかったし)
 まるで出会い自体がなかったようだ。帰宅してからは特に何事もなく、いつものように夕食を食べて宿題をしてお風呂に入って寝て、そして翌朝となった。
 ならばきっと気にしなくてもいいんだろう。ちょっとおかしな出来事がたまたま昨日起きただけだと結華はぼんやりした頭で思った。
(何だったんだろう……)
 悪魔と名乗ったユリと、謎のガイコツのキャシー。
(妙なコンビだったなあ)
 面白そうではあったけど、面白そうだからといってほいほい首をつっこんで痛い目を見たいわけではない。
 面倒そうだという以上に、未知の世界に足をつっこんでしまいそうなのが恐ろしかった。
(まあ、結局何ともならなかったしいいか)
 今日、何事もなくいつも通りの朝を迎えられた。
 きっと気にしなくてもいいことなんだろう。
(うん)
 結華がそう結論づけた途端、部屋の扉が開いた。 
「おはようございます先生! さあ起きて支度しましょう」
「とうっ」
 昨日見た銀髪がさも当然とも言わんばかりに部屋の前に立っていたので結華はとりあえず枕を投げつけた。
 うまくユリの顔面にぶつかったらしく、鈍い音が聞こえてくる。
「先生からの愛の鞭が痛いです!」
「今の行為に愛を見いだせるあんたのポジティブさがよくわからない」
「枕の九十パーセントは愛でできていると僕は地獄で聞き及んでいました!」
「じゃあ痛がってないで受け止めなさい」
「最もね」
 聞き覚えのある口調に結華は視線を動かす。
 そこにはしっかりと小型犬ほどの大きさのガイコツがいた。
「……何でここにいるの?」
「住み込みの弟子ですから!」
「……」
「結華ー、起きたのー? せっかくユリくんが朝食作ってくれたんだから早く食べなさーい」
 階下から聞こえてきた声に、結華は続ける言葉を完全に失った。
 とりあえず一呼吸置いて、完全に覚醒した思考を必死に巡らせる。
「お母さんに何したの」
「説得しただけよ? 行く場所ないから家に置いてくれって」
「……」
 結華は、今までの人生の中でも最も長く深いだろうと思われるため息をついた。
(もういいや)
 もしかしたら、昨日声をかけられた時点でもうこうなることは決まっていたのかも知れない。
(悪魔に魅入られたのか)
 唐突すぎるし何より理不尽だとは思ったが、抗ったところで状況は変わりそうにもない。何より、抗う方が非常に面倒だ。
 加えて、母親が決定したことならいくら結華が反対したところで意味もないだろう。
「というわけで先生、よろしくお願いします!」
 結華は頭を抱えながら、とりあえず学校に行くための支度を始めた。

 何とも面倒なことになってしまったと思いながら、結華は通学路を歩く。
(……まあいっか)
 元来面倒くさがりな性分もあって、この件について細かく考えることは早々と放棄した。
 なるようになるだろうと気持を切り替え、空を仰ぐ。視界の端に、真っ赤な鳥居が映り込んだ。時計をちらりと確認して、結華は鳥居をくぐる。
 さほど長くもない石畳を歩き、社殿へと向かう。道の左右に生えた大きな楠が風で葉を揺らしていた。
(『先生』って呼んでるけど、私は何をすればいいんだろうな)
 特に何も教えられるものはないし、何より教える気もない。
 ユリ自身も、何を教えてほしいのかは言わなかった。
(同居人が増えたとでも思えばいいのか)
 悪魔と名乗る銀髪の青年と、妙な生き物。よくよく考えれば得体の知れないコンビなのだが、正体を詮索したところで答えが出るわけでもないだろう。
 「死の手伝い」なんてことも確かに言っていたし、もしかしたら本物の悪魔なのかも知れない。だが、今すぐどうこうなるわけでないことは何となく感じ取れる。
 少し家が騒がしくなるという程度の気概でいようと結華は結論づけた。
「おはよう」
 一匹の柴犬が結華の元に駆け寄ってくる。
 首輪はしていないが、この神社にずっと前からいる犬だ。どういうわけか、結華によく懐いていた。
「コマ」
 名前を呼ぶと、嬉しそうに頭をすり寄せてくる。柴犬はあまり人に懐かないと聞いていたが、コマだけは昔から結華によく懐いていた。
 結華自身も、よく懐いてくれるコマを憎からず思っている。昔から、何かあるとコマのところへ行って元気をもらっていた。
「何かね、いきなり弟子ができたよ。どうしようね?」
 周囲に人がいないのをいいことに、結華は小さな声でつぶやいた。
 相手が人でない存在だからなのか、こうして最近あったことを相談してしまうこともある。
 コマは分かっているのかいないのか、まるで話を聞いてくれるような神妙な面持ちで結華を見つめていた。
「というか、何をすれば良いんだろうね」
 十七年間という短い人生の中で、弟子ができたことなど一度たりともない。従ってどうしたらいいのかも分からない。
 中学生の時は部活にも所属していなかったから、後輩だって未だにできたことがないのだ。
(……)
 何年か前のことが頭の中でちらちらとフラッシュバックを始める。
 時間が止まったかのように手を止めて、思考の渦がぐるぐると逆巻くのだけを感じていた。
(……?) 
 手にあたたかいものが触れて、結華ははっと気がついた。コマが前足で触れたらしい。
 ざわざわと風がなっている。どうやら葉ずれの音さえ意識の外に追いやってしまうほどぼんやりしていたようだった。
「……じゃあね、行ってきます」
 駆けだす結華の様子を、コマはじっと眺めていた。 



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