魔王 2


 魔法を敵視する者からの襲撃を受けて不覚を取った。
 退けたものの、治癒の魔法の反動で昏睡していたところを少女に助けられ、今に至る。
(不思議な少女だ)
 まだ若いというのに、ずいぶんと落ち着いている。
 発言の一つ一つに、聞き逃せないものが含まれているように感じる。
(『本気で恨む人のところには』か)
 ディオンはその言葉を反芻しながら、家の外に出た。
 辞退したにもかかわらず朝食を作ってくれたリリアの姿が思い起こされて、ディオンは思わず口元をゆるめる。
 人に作ってもらうことなど今までなかったからか、どこか気恥ずかしいようなうれしいような心持ちでいっぱいだった。
「リリア、外に来てほしい」
 家の中に呼びかける。程なくして、ぱたぱたという軽い足音が聞こえてきた。
「何でしょう」
 そう言って顔を出したリリアの表情が驚愕で染まるのを見て、ディオンは微笑んだ。
「泊めてもらった礼にしてはささやかだが……」
「すごい……!」
 ディオンの言葉を遮って、リリアは外に飛び出してくる。
 はらはらと、舞う粉雪。リリアは両の手のひらを上に向けて、落ちてくる雪の感触を確かめていた。
 季節は夏であるのに、この一帯だけうっすらと粉砂糖をまぶしたように、白で染まっている。
「これ、どうなってるんですか?」
 雪はやはり冷たく、どことなく肌寒ささえ感じた。
 夏の花に雪の被る風景は何とも不思議で、どこか異世界にでも迷い込んだようだとリリアは思った。
「少しだけ季節をいじらせてもらった。このあたりだけではあるが……」
「きれい、きれいです……」
 冬になれば確かにいくらでも見られるものだが、こうして夏の緑の中で見る雪は初めてだった。
 見たこともない風景が不思議で、そして鮮やかに思え、リリアははしゃぎながらひたすらに賛辞を送る。 
「……そうしていると年相応に見えるな、君は」
 ディオンは優しい顔で笑う。
 雪にはしゃぐ姿を見て、ディオンの心は小さく音を立てているような気がした。
「不思議な人だ……。大人びているのかと思えば」
「私は普通の女ですよ」
「そうかな」
 賢明で、愛らしい女性。ディオンの目にはそう映っていた。
 誰かから見れば、普通の女性なのかも知れない。ただ、もし彼女がリリアでなければ、きっと雪を降らせることもなかっただろう。
 少なくとも、ディオンの目には普通の女性としては映っていなかった。
(私は)
 暖かく揺れ動いている心情には、覚えがあった。きっとこれはいずれ、柔らかな感情へと変わるだろうという予感もある。
 何度も何度も、心の中で確かめて、暖めて、そしていつも破れていった、あの感情へと。
(……)
 そう思った瞬間、ディオンの心の中には焦りが生まれだした。心の中は暖かい気持で溢れているのに、どうしてか、寂しい。
 叶うことはないだろうと予感しているからだろうか。一度も実ったことのない、今までの願いに思いを馳せると、恐ろしく寂しかった。
 ひとえに自分が、魔力を持ち、そしてそれに長けているが故に、いくら手を伸ばしても叶わないまま儚く散り散りになった心。
 リリアは笑顔で雪に手を伸ばしている。ぎゅっと手のひらを握り込んで、ディオンは穏やかに微笑んだ。
(昨日会ったばかりだぞ)
 何とか気持ちには気づかないふりをして、ディオンは雪を眺める。
 リリアの黒く長い髪に雪が溶けていくが、本人は全くそのことを気にもとめていないらしい。
(子供のようだ)
 焦りと不安を心の中から追い出して、目に映る景色で心を埋める。
 リリアのことをもっと知りたいと、ディオンはどこかで思っていた。

 雪を見て、二人で紅茶を嗜む間に、日が暮れてきてしまった。
 もう一晩くらいどうですかと言うリリアに、ディオンは迷いながらも従った。
(……弱ったものだ)
 本来なら、固辞するべきだったかも知れない。
 これ以上ここにいては、恐らくリリアのことが気になってしまうだろう。
 まだ小さな芽であるこの感情がいずれどのようなものに変質していくかなど、見え透いていた。
(警戒しないのか)
 見ず知らず、しかも「魔王だ」などと名乗るような得体の知れない男だというのに、どうしてリリアはあっさりと引き留めるのだろう。
(同族だからか……?)
 ふと考えついた答えは、何だかぴったり当てはまるようにも思えた。
 もしかしたら、一人で寂しかったのかもしれない。
 話せば話すほど不思議な少女であった。どこかさめているように見えて、まだ少しおぼこいところもある。
 気づけば、彼女の言動から目を離せなくなっている自分がいることにディオンは気づいていた。
「……あなたは、ずっとここで暮らしているのか?」
 紅茶のカップを置くと、ディオンは小さな疑問を投げかける。
「いえ、生まれ育った土地から離れています」
「……だからしっかりしているのだろうな」
「そうですか?」
「そうだ」
「何も、一人で暮らしていたわけではありませんよ」
 リリアは机の上の写真に目をやった。
 ディオンもつられてそちらを見やる。写真の中で笑っているのは、ディオンより少し明るい金髪をした男性。
 リリアと同い年くらいに見えた。
「一人じゃ、暮らせないです」
 そう言って穏やかに微笑むリリアの表情を見て、ディオンは自分の心に生じている感情の名をおぼろげに認識した。
「リリア」
 つなぎ止めるような張りつめた声で呼びかけた瞬間、騒がしい足音が聞こえてきた。
 来訪者が誰かなど、二人とも分かり切っていた。心底悲しそうな、それでいてどこか笑顔にも近い表情でリリアはため息をつく。
 ディオンは自分の心にわいた怒りを押し殺しながら、窓を開けて低い声で来訪者達に声をかけた。
「何用だ」
「ディオンさん」
 リリアの制止を聞かなかったのは、ディオンにとって、見覚えのある人物ばかりだったからだ。
 数日前、ディオンを襲ってきた人々。見紛うはずもない。
(罠など無効の人種か)
 ため息をつくディオンの表情は、諦めにも似たいらだちで埋まっているように、リリアには見えた。
 もしかしたら、何度も何度も立ち向かって、こうして一人で対峙することに慣れてしまっているのかもしれない。
 少なくともそんな雰囲気をリリアは感じ取っていた。
(『のどかに暮らしたい』か)
 リリアにはそれが一番似合うのだろうとディオンはふと思う。
 恨まれ、傷つけられ、さらに恨まれて、より傷つけられる世界など寂しいだけだ。そんな場所で生きてほしくなどはない。
 ディオンは光の灯った左手を窓の外に向けた。
「……失せろ」
 光がはじけた。

 一瞬にして、森が静かになる。
 リリアには、何が起きたのか理解ができなかった。
(消えた)
 ただ虫の鳴く声しか聞こえない。先ほどまでの喧噪がまるで嘘のようだった。
(魔法……?)
 私は魔王だと言ったディオンの言葉が思い起こされた。
 どこかあっけにとられたような調子で、リリアは問いかける。
「今のも魔法……ですか」
「怖いか?」
 そう問いかけるディオンの表情は、どこか自嘲しているようにも見えた。
 雪を降らせ、一瞬に人々を隠してしまうディオン。魔法には詳しくないが、少なくともそれはリリアにとって、驚愕すべきことであった。
「いいえ」
 リリアは静かに首を振る。誰も怪我をしていないだろうことは、何となく雰囲気で感じ取れたからだ。
 意表をつかれたらしいディオンの表情を見て、リリアは小さく笑う。
(やっぱり)
 こんな、魔女狩り全盛の時代で、こんなに強い魔力を持っている人が、人から疎外されて生きていないわけがない。
 きっと、「怖い」と言われ続けてきた人なのだろう。恐れられて生きてきたのかもしれないなと、どこかリリアは自分自身と重ね合わせて思った。
 リリアだって、理解者と出会うまではずっと一人で生きていた。ディオンはもしかしたら、今も一人のままなのかも知れない。
(……)
 警戒心なく、律儀に丁寧にリリアに接する姿を見たときからぼんやりと、そんなことを思っていた。
 だから、ディオンを一人にするのは忍びなくてついつい引き留めてしまったのだ。
「その、傷つけてはいない。下の町に飛ばした」
 弁解するような調子でディオンは告げる。リリアの顔色を窺っているようにも見えた。
「わかっています」
 多少手痛い目を、と言っていたディオンが相手を傷つけなかったのは、きっとリリアに気を遣ってのことだろう。
 こうして人の出方を窺うのは、寂しがり屋の特徴だ。この人はきっと、人恋しくて、寂しいのだろう。
 疎外されて生きてきた、リリア自身の半生が写し鏡になっているような気がした。
「リリア」
「はい」
 ディオンは一瞬、少しだけ悲しそうな表情をした。
 すぐに笑顔に戻ったものの、その愁いを帯びた表情が、どうしてかリリアの瞳に焼き付いた。
 呼びかけた本人はしばらく口ごもり、どこか苦しそうな表情で静かに告げる。
「私と共に、来る気はないか」
 ディオンは、自分の心臓が張り裂けそうになっていることに気づいていた。
 早くも、言わなければ良かったという後悔でいっぱいだ。写真の男性のことを、リリアが思っているのはわかっている。
 それでも、言葉で、少しでも振り向いてほしかった。
 答えを探すリリアの表情を見て、ディオンの心は不安で満たされていく。聞かなくても、また聞き慣れた答えが返ってくるのだろうという、諦念にも似た予感があった。
「……すぐにお答えは、できません」
 リリアの瞳の中は、揺らいでいなかった。
「そうか」
 ディオンは、予想していたとでも言うような表情で笑う。リリアの瞳が一瞬だけ、写真の男性をとらえたのを見逃すことができなかった。
 胸の奥がギシギシと、さびていくような感覚。その男性は誰なのかという問いかけは、きっとこの痛みを増幅させるだけだろう。
 大きく息をついて、窓を閉める。
(帰ろう)
 苦いものを飲み込むようにのどを鳴らして、ディオンはリリアの横を通り過ぎる。
「でも」
 ディオンの手のひらが、暖かく柔らかいものにとらわれた。
 それがリリアの手のひらだと気づき、ディオンははっとして振り返る。
「でも、少しお時間さえいただけましたら、きっと」
 急き込むように言葉を続けたリリア。
 ディオンは予想外の答えに目を見開き、その場に立ちつくす。
 リリアの瞳の奥に写った人物を確認すると、ディオンは跪いた。
「……待っている」
 手の甲にキスを落として、ディオンは笑った。

「……ディオン様」
 その声にディオンははっと目を覚ました。目の前にあるのは、石造りの壁。
 椅子の上に座ったつかの間の間にうたた寝をしていたらしく、窓の外には夕焼けが見える。
「そんな場所で眠っていては風邪をお引きになります」
 リリアが心配そうに顔をのぞき込む。
 一瞬、どうしてここにいるのかと考え、すぐに首を振った。ずいぶんと昔の思い出を夢に見ていたからか、今と昔を混同してしまったらしい。
「ありがとう」
 そう答えて立ち上がり、ぐっと体を伸ばす。
 金の髪をかき上げながら、後ろに立つリリアに問いかけた。
「何故リリアは、私の元に来てくれたのだ」
「……意地の悪い質問を」
 リリアは困ったようにつぶやく。
 ディオンは振り向いて、答えを求める視線を投げかけた。
 その表情に少しばかりからかいの意図が含まれているのを確認し、リリアは戸惑いながら答える。
「何だか、放っておけなかったんです」
 恐れられて生きてきた、寂しがり屋の魔王の姿は、どこか自分と重なっていたから、一人にするのはどうしても忍びなかった。
 リリアの答えにディオンは苦笑する。
「残念だ」
「何がです?」
「私は一目惚れのようなものだったから、リリアからも同じ答えが返ってくるのかと期待していた」
「……」
 何でもないことのようにあっさりと言ってのけるディオンに、リリアは赤面し、返す言葉を探す。
「悪くない答えだ」
 その様子に満足したのか、ディオンは笑い、窓の外を指さす。
「そのうち、雪に変わる」
「ほんとですか?」
「いくらでも降らせよう」
 ディオンは穏やかに微笑んだ。



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