魔王
 

魔王

 しばらく山菜を採りに出かけている間に、また家は壊されているようだった。
(あら……)
オレンジの光に染まる、小さな家。ほとんど人が立ち入らない山奥にあるはずなのに、このところ来訪者が多い。
リリアは疲れ切った表情で、ほとんどなくなっている扉を引いて家の中に入った。
「ただいま」
習慣で声をかけるものの、当然ながら返事はない。騒がしい来訪者がどこかにまだ隠れてはいないかと思っていたが、どうやら全員退散してくれているようだった。
家の中を点検し、隠していた金目のものが無事であることだけを確認する。ほっと胸をなで下ろし、大きく息を吐いた。
黒く長い髪を後ろで一つに束ねると、リリアは箒を持ち出して外に出る。
(ここまで派手に狩らなくても)
箒を掃いて木片を集めながら、思っても仕方のないことを考えた。
来訪者が誰かなどは分かり切っている。おそらくはいつもと同じように、「魔女」の家まで度胸試しに来た者、そして純粋に破壊活動をしに来た者だろう。
荒らされる理由も分かり切っていた。リリアが「魔女」であるとされる存在だからだ。
といっても「魔力」と呼ばれるものはほとんどなく、魔法なんてものも使ったことはない。ただ、そういう血筋であるらしいことを聞いたことがあるというだけだった。
(やっぱ罠張らなきゃだめかな)
被害の大きさの割には、ずいぶんとのんきなことを思いながらリリアは箒を動かす。
(どうしようもないものねえ)
魔法を使える可能性のある者に対して危害を加えることは、現在合法となっている。
だから見つからないよう山奥に暮らしているというのに、どこから聞きつけてくるのかリリアの元にはたくさんの人がやってくるのだった。
あきらめたような表情でもう一度ため息をつき、リリアは青い瞳で周囲の木々を見渡す。静かに風が木の葉を揺らしているのみ。
どうやらもう危害を加えようとする人物は潜んでいないようだった。
「あれ」
その代わり、視界の端に見慣れないものが映った。リリアは眉間にしわを寄せ、訝りながらも近づいてみる。
大きな木の下には、長身の男。髪の色は茶金で、そう若くはないものの整った顔立ちをしている。先ほどの来訪者達とは全く違う人種らしい。昏睡しているように見える。
「大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄り、リリアは声をかける。返事をする様子はない。
どうやら、行き倒れのようだった。
(こんな山奥で……)
「……」
目を閉じたまま動こうとしないが、どうやら生きてはいるようである。
外傷はあまりないようだから、山の中に入って遭難したのかも知れない。
ともかく、夏とはいえこのままではいけないだろう。ただでさえ来訪者たちのせいで治安のよくない場所なのだ。
「よし」
リリアは決意したようにうなずいた。

薄いブルーの瞳が開かれた。辺りを見回しているものらしい。
リリアは気遣うような声音で問いかけた。
「目が覚めましたか?」
「あなたは……」
「リリアといいます。お体、痛みませんか?」
男はゆっくりと体を起こし、窓から外の様子を窺っている。うっすらと、月の光が細く差し込んでいるだけで、それ以外には何の気配もない。
二人がいるのは、小さな寝室。先ほど大急ぎで修繕したリリアの部屋だ。
「どうやら、ご迷惑をおかけしたようですね」
男は頭に手をやり、弱ったような表情で笑う。
リリアは枕元のテーブルにあるポットから紅茶を注いで、男にカップを渡した。
「ありがとう」
男は警戒心なくカップに口を付ける。体が温まって落ち着いたらしく、大きく肩を上下させて息を吐いた。
ぼんやりと観察しているのに気づいたのか、男は薄いブルーの瞳をリリアに向けて微笑む。
「私はディオン。世話をかけてしまい、本当に申し訳なかった」
そう言ってディオンは頭を下げる。折り目正しいその態度に、リリアは一瞬まごついた。
この所荒々しい来訪者ばかりだったから、こんな律儀な人物を見かけるのはずいぶんと久しぶりだった。リリアは首を振って返す言葉を探す。
「あまり長居するわけにもいくまい。本当にありがとう、この礼はいつか必ず」
そう言ってベッドから降りるディオンに、リリアは首をかしげて問いかけた。
「どこかへお急ぎですか?」
「……そういうわけでもないが……」
その問いの意図をつかみかねているらしいディオンに、リリアは窓の外を示す。
陽が落ちてからずいぶん経つ。鬱蒼と茂る木々の中では月の光も届きづらく、外は暗闇に染まっていた。
「夜の山に出てしまっては、より危険ですよ」
「しかし……」
ディオンは返事につまる。外が暗く危険なのは理解できるが、これ以上世話をかけるのは忍びなかった。
一人暮らしだと思われる家の様子に加え、ここは若い女性の住まいでもある。簡単に厄介になるのはどうも気がひける。
どう言ったものかと迷うディオンに、リリアは言葉を重ねた。
「お気になさらずとも、二部屋ありますし」
「だが」
ディオンがなおも食い下がった時、がやがやという話し声が聞こえてきた。
「またですか」
眉をひそめ険しい顔で窓の外に目をこらすディオンに、リリアはさらりと言ってのける。
「外に出ない方がいいですよ」
「いや、彼らの目的は――」
「魔女狩りに来ただけでしょう」
リリアの気が咎めたのは、言ってのけた後だった。知り合ったばかりの人に言う必要性はなかったかも知れない。
ただこのまま外に出してしまっては、ディオンが仲間だと思われて、危害を加えられる可能性もある。
(でも、ほかの言葉もあったのに)
案の定、ディオンは目を丸くしたまま固まっている。
「魔女……あなたが?」
ディオンは目を丸くしたままつぶやいた。しばらく、二人の間に沈黙が流れる。
リリアはふと、ディオンが魔女に危害を加える可能性を忘れていたことに気づいた。
(気が抜けたのかしら)
武器など、壁に立てかけている箒しかない状況で何という発言をしてしまったのだろうとリリアは反省する。
久々に、礼儀正しい普通の人間に出会って、つい気がゆるんでしまったのかも知れない。
椅子から立ち上がり、逃げ場を探すリリアの様子を見て、ディオンは小さく笑った。
「あなたが魔女なら、私は魔王だ」
「……?」
意図がよく読みとれず、リリアは首をかしげる。
ディオンは少し思案して言い直した。
「同族と思ってもらえればいい」
「あなたが」
リリアはディオンと同じ言葉をつぶやいた。驚いたが、こんな山奥で倒れていたのにも合点がいくような気がした。
恐らくは、誰かに追われていたのだろう。それこそ、今外でざわめいている人たちの同族にだ。
少しだけ気持ちがほどけるのを感じながら、リリアは椅子に座り直した。
「……逃げないのか?」
「何からです?」
きょとんとした顔のリリアに見据えられ、ディオンは一瞬言葉を失う。
「いや……」
様子を窺うかのようにゆっくりだった足音は、その勢いを増して、こちらへ向かってきた。
ディオンは一瞬にして張りつめた表情になると、リリアをかばうような格好で立ちふさがる。ぼんやり、手に光がともっているように見えた。
魔法でも使うのだろうかとリリアは思い、相変わらずのんびりとした調子でつぶやく。
「何もしなくていいですよ」
「そういうわけに」
ディオンが言った瞬間、外のざわめきが悲鳴に変わった。リリアは涼しい顔で紅茶をのどに流し込む。
不思議そうな顔で振り返るディオンに、リリアは苦笑してみせた。
「昼はたまたま忘れていましたが、いつもは罠を張ってあるのです」
「罠?」
「といっても、簡単なものです。これに引っかかる程度の人たちなら、本気で魔女狩りに来たわけじゃない」
「どういうことだ」
「肝試しってところでしょう。人数も少ないですし、ちょっと驚かしたらもう来ないタイプ。そして地元で『魔女の家まで行った』って自慢するタイプ」
ずいぶんと慣れた様子でリリアは告げる。
理解に苦しんでいる様子のディオンに、リリアはなおも解説した。
「本気で魔法をつぶそうとしている人と、興味本位で近づく人と、二種類いますから」
「興味本位か」
初めて聞いたとでも言うように、ディオンは思案に余ったような表情でうなずいた。
「いつも、その、罠で対抗しているのか」
「はい」
ディオンは改めて部屋を見渡した。一目見た限りでは気づかなかったが、注意深く観察してみるとあちこちに修繕の痕跡がある。
受けた傷は一つや二つではないのだろう。うまく隠してはあるが、それは、襲撃に慣れた結果であるようにも思えた。
(興味本位の者ばかりというわけでもないのだろう)
本気で魔女狩りに来る者と、興味本位の者との見分けがつくほどに、襲撃に慣れきっているのだろう。
「いざというときのために、隠し通路もつくってあります。家にいるときに魔女狩りに来られたら、そこにいつも隠れてます」
ディオンは再びリリアに視線を戻す。リリアは落ち着き払った様子でディオンにまっすぐ視線を返していた。
その手の甲にあるのは、いくつかの小さな傷跡。家の修繕の時にでもできたのだろうか、苦労しているように見受けられた。
その様子がどうにも痛々しく思えて、ディオンはつい諭すような口調になる。
「他にも策はあろう。あなたが受けた被害を思えば、多少手痛い目を」
「……嫌なんです、それ」
少し間をおいて、リリアは笑った。
ディオンが険しい顔で何か言おうとするのを、首を振って制する。
「たとえ、こちらに敵意がある人間であるとはいえ……。むやみに傷つけたり、危害を加えるのは何だか」
まるで日常の些細なことであるかのようにリリアは言ってのける。
何度も家を壊されている人間の言葉とは、ディオンには思えなかった。
「そういうのって、面倒ではありませんか」
「あなたは……」
二の句が継げず、ディオンは代わりに深く息をついた。
「私はのどかに過ごしたいんです。恨むのも恨み続けるのも、エネルギーがいる。後々面倒にもなりかねない」
「……」
真剣な表情で言い切ったリリアに、ディオンは言葉を返せなかった。
どうして彼女から、こんな言葉が出てくるのか。理由を探して、視線をさまよわせる。
「不思議なことに、本気で恨む人のところには、本気の人しか来ない。そんなの、とても疲れるでしょう」
「それは……」
「恨んで傷つけたら、もっと強く恨まれて、もっと強く傷つけられるだけ。それならまだ、恨まず傷つけない方がいい」
自分のことを言い当てられたような気がして、ディオンは口ごもる。
ふとリリアの視線の先を見やると、男性の写真が飾ってあった。
(あれは)
この家に、リリア以外の人の気配はない。
(……)
寂しさとあきらめがない交ぜになったような表情で写真を見つめているリリアに、あの男性は誰だと問いかけるのは、あまりに無粋であるような気がした。
外は変わらず騒がしい。だがその騒がしさは、リリアの表情と比べるとずいぶん浅はかなものであるようにディオンには思えた。
(ずいぶんと、恨んだのだろうに)
生半可でない恨みを抱き、それを一人で通り抜けてきたのだろうリリアに、いい知れない感情がわき上がってくるようにディオンは感じていた。
ただそのことは口にせず、ようやっとといった調子で、微笑みながら言葉をはき出す。
「あなたは、……賢明な人だ」
「そうでしょうか」
リリアとしては、ただ単に楽な方法を選んでいるだけのつもりでしかなかった。
誰かを傷つけるのも、運命を恨むのもエネルギーがいると知った。恨めば恨むほど、苦しくなることも知った。
だから、生活を壊されないように過ごし、そして壊されたものは修復して生きるという簡単な方法をとっただけなのだ。
その生き方は賢明でなく、むしろ愚鈍といえる。
「その心は、なかなか持てるものではない」
どうやら、本心からの言葉であるらしい。
あまりにも素直な賛辞に、リリアは少し気恥ずかしくなった。
「……ほら、退散してくれるようですよ」
「しかし、いったいどんな罠を張っているのだ?」
「内緒です」
いたずらっぽく笑うリリアの表情を、ディオンはしばし眺めていた。



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