魔女の姫 2



 槍を持った兵士に囲まれたとき、リゼルの心には「やはり」という言葉と「なぜ」という言葉がが交互に浮かんだ。
 疎んじられていることは知っていたし、少しばかり諦めもしていた。
 だが、武力でもって片を付けようとするとは予想していなかった。
「お覚悟を」
「……子ども一人に、いささか数が多すぎはしないでしょうか」
 何かを仕掛けられるとしても、政治的意図によって社会的に葬られたり、あるいは王家としての特権を剥奪される程度だろうと見くびっていた。
 そもそも、三の姫を殺めたところで何の利があるというのだろう。
 王家に悪い噂が立つだけではないのだろうか。それでは、この国の損になってしまう。
 リゼルは純粋にそんな疑問を持った。
 膠着状態であるのを幸いに、リゼルは諦めたような表情で問いかけた。
「教えてください」
「何をです?」
「理由を、私を殺める理由を教えてください」
「あなたの母が魔女であるからです」
 予想もしていなかった言葉に、リゼルは狼狽する。
「そんなわけないわ、ならば何故父上は魔女と……」
「王は魔女にだまされたかわいそうなお方だ。しかしあなたは魔女の血を引く魔女の子だ。だからここで」
 切っ先がこちらに向いてもなお、リゼルはこれが夢であるとしか思えなかった。
 今から死ぬのだという実感があまりにもない。ゆえに恐怖も、ほとんどなかった。
 自分でも驚くほど冷静に、リゼルは問いかける。
「誰の指示ですか」
「あなたが一番よくご存じでは?」
 そう言ったのは、常に姉の横に控えていた騎士だった。
(そこまで憎いのですか)
 リゼルは姉に幻滅した。
 多少の皮肉や無視は仕方がないとはいえ、母が平民出身であるという以外に何か彼女にした覚えはない。
 なのになぜここまで憎まれねばならないのだろう。
 彼の刃にかかって、自分はここで果てるのだろうか。
(……同じですね)
 魔王も、魔女も、きっとこんな気持なのだろう。
 何かをした覚えはないのに、憎まれて刃にかけられる。
 きっとそういう意味では、リゼルはシアにとっての「魔女」なのだろう。
(レオンがいない隙を狙っていたのでしょう)
 親しくしている傭兵は魔王討伐に行っているから、きっとその隙を狙われたのだ。
 味方も友も、この場にはいない。絶命の未来が見えたとき、少しだけ背中が寒くなったようにリゼルは感じた。
「いいでしょう、大人しくあなた達の刃にかかりましょう」
 声が震えていた。どうやら、自分で思っている以上に体は恐怖しているらしい。
 きっとあまりに急な展開に、気持が追いついていないのだ。
 ただリゼルは一縷の望みをつなぐため必死に言葉を絞り出す。
「でも、こんな場所ではごめんだわ。魔女を討って見せしめにするというならば、もっと国民に見える場所でなさい」
「そんな言葉には惑わされません」
 冷静に紡がれた言葉には負けないように、精一杯の強い声で抵抗した。
「おかしいわ。法令でそう決まっているはず、父上からはそう命が出ているはずよ」
 黙ったところを見ると、どうやらリゼルの言ったとおりであったらしい。
 血路を開くため、さらに言葉を重ねて挑発する。
「騎士が女にたぶらかされて国主の命に背くなど、恥ずかしいと思わないの?」
「……仕方ありません」
 騎士はリゼルを睨みつけていた。

 こうして少しでも長らえようとしたのは、都合の良いことを考えていたからだ。
(レオン)
 助かるとは思っていない。
 ただ、少しでも長らえれば、彼にもう一度会える可能性が少しでも増えるのではないかと思ったのだ。
 せめて最期に一目だけでも彼の姿を視界に入れることができたなら、きっと安らかに旅立てる気がする。
 唯一、リゼルの身を心配してくれた人だ。
 唯一、リゼルが心を許せる人でもあった。
 茨の城の中で、唯一居心地の良い居場所をくれた人。
(似ていたのかも知れない)
 家族なんていなくて、自分で自分の身を守るしかない。
 今のリゼルの状況と似ている気がして、何だか少しおかしかった。
「……何をしているの」
「シアお姉様」
 ずいぶんと久しぶりに声を聞いたように思う。
 リゼルが返答したことすら気にくわないように、シアは憎々しげにリゼルを睨みつけた。
 騎士が取りなすように答える。
「法令により、処刑場へ護送する途中で」
「もう、良いわ。私はともかくそれの顔を見たくないの。早く、そこから突き落としなさい」
「……」
 騎士は迷っているようだった。
 その態度にいらだったのか、シアはさらに強い口調で言いつのる。
「できないの? どうせ『魔女』の死に方なんて誰も気にも留めないでしょう。早くしなさい。後ろ盾を失いたいの?」
「シア様の仰せのままに」
 一瞬の出来事だった。

 体のあちこちをぶつけても、どうやら意識は残っているようだった。
 遠くから、足音が聞こえてくる。
(これで最後?)
 兵が、始末をつけに来たのだろうか。
 本来なら体のあちこちが痛いはずなのだが、どうしてだかそんなことよりもある人の顔が浮かんでいた。
 最後に一目だけでも見ておきたかったと思う。
(もしかして、お姉様の一存だったのかしら)
 突き落とすなど早急で強引な手法を取ったということは、きっと父に話は通っていないのだろう。
 どうしてここまで恨まれるのか。それはきっと、リゼルがシアにとっての「魔女」だからだ。
(明確な理由などないのでしょう)
 ただ魔法は悪だから魔王を魔女を討つ。
 ただリゼルがシアにとって悪だから討つ。
 しがらみにとらわれたこの城は何て狭いのだろうとリゼルは思った。
(レオン)
 あの人は今、どこにいるのだろう。
「リゼル様」
 幻聴まで聞こえるとは、そろそろ自分も果ててしまうのかも知れない。
 ぼんやりとした意識の中でリゼルは思った。
「逃げますよ」
 どこへでも、逃がしてほしい。
 どこへでも、共に連れて行ってくれるならいい。
「……レオン……」
「はい」
(……?)
 幻聴にしてはやけにはっきりとした返事だと思ったが、リゼルにはそれが何故か分からなかった。
(……あたたかい?)
 誰かに背負われているらしいと気づいたのは、城の騎士の叫び声が聞こえてきたときだった。
 どうやら死なずに済むらしいと感づいたのは、自分を背負っている人物の正体に気づいたときだ。
「どうして」
 どうしてここがわかったのか、どうしてここにいるのか、どちらを聞くべきかリゼルは迷う。
 そうして次の言葉を探している間に、城壁へとたどり着いた。
「……俺は」
 レオンは立ち止まると、いつもの素っ気ない口調でぽつりとつぶやく。
「魔法が使える一族の生まれなんです」
「え?」
「といっても大がかりな魔法は使えませんが、あなたがどこにいるのか探るくらいはできます」
 どこかぼんやりとした頭でも、レオンの言葉はしっかりリゼルの脳に刻み込まれた。
「家族は全員魔法狩りでいなくなりました」
 他愛ない思い出のようにレオンは語る。リゼルは続けるべき言葉を失った。
 魔法狩りの令を出しているのは、他ならぬ王族である。
「……そんな」
 レオンは城壁の一部を壊すと、城の外へ出る。群衆の声がざわざわとリゼルの耳に届いた。
「王族を恨んではいないのですか」
「ええ、リゼル様をこんな目に遭わせた王族のことは恨んでいます。だからもう、契約は破棄です」
 吐き捨てるようにレオンは断じた。
 その言葉はいつもの数倍冷たいように、リゼルには思えた。
(わかっていながら)
 家族の仇でもある王族の娘が自分の元に通ってくることを、レオンはどう思っていたのだろう。
 何も知らなかった自分の姿がひどく滑稽であるように、リゼルには思えた。
(どうして)
 どうしてシアはリゼルを殺そうとしたのか。
 どうしてレオンはリゼルを守ろうとしているのか。
 リゼルはぎゅっと手のひらを握り込みながらレオンに問うた。
「私を恨んでは」
「……不思議なことに、少しも」
 恨みどころかその真逆の心情が芽生えていることを、レオンは口にしなかった。
 代わりに苦笑し、いつもの調子でつぶやく。
「何だか、おちおち魔王討伐になど行っていられなかったので戻ってきたのです」
 三の姫だからと、自分の死をまるで道具か何かのように思っているリゼルの態度が不安だった。
「あなたの訃報を、遠い地でを聞くのは嫌ですから」
「……ありがとう。でも、勝手に殺さないで」
「いつぞやの逆ですね」
 レオンが少しだけ笑ったように聞こえた。

 数週間後、王国の三の姫が傭兵に暗殺されたと大騒ぎになった。
 同時にリゼルの母の魔女疑惑も流れ、傭兵は英雄として、三の姫は魔女の子として人々の噂に上っていた。
 ベッドの上で新聞の記事を読みながら、リゼルは苦笑する。
「困ったことになっていますね」
「包帯と薬も買いに行けません……」
 レオンは心底げんなりした顔でため息をついた。
 この隠れ家もそのうち突き止められるのではないか、とレオンは本気とも冗談ともつかない顔で言う。
「これから、レオンはどうするのです」
「さあ、どこへ行きましょうか」
 考えているレオンに、リゼルは頭を下げる。
「お願いします、私を連れて行ってください。どこへでも行きます」
「魔王の城へでも?」
 レオンは冗談で言ったつもりだったのだが、リゼルはその言葉に考えるそぶりを見せた。
 しばらくして、大きくうなずく。
「それは良い案ですね。ええ、魔王の城へ行きましょう」
「……」
「魔王というだけで迫害されるその人に、一度会ってみたかったのです」
 レオンは、リゼルの表情に何か強い意志のようなものが宿っているような気がした。
 一瞬だけそれに見とれると、すぐに目をそらし、一度大きく息をついて笑う。
「では、怪我が癒えたら隣国を目指しましょうか」
 レオンとリゼルの旅が始まった。



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