魔女の姫


 傭兵らしくがっしりとした体躯と、短く刈った赤茶の髪。そして目立つ大剣を背に歩く姿を認め、リゼルは後を追うことにした。
 ついた先は、城の一番端にある質素な部屋。
 剣の手入れをしている姿がよく見える。
「……また来たんですか」
 入り口で立ち止まっているリゼルに気がついたのか、レオンは呆れたようにつぶやいた。
「ええ、来ました」
「こんな場所、面白くなどないでしょうに」
 レオンは空色の瞳を伏せ、剣の手入れを再開する。
「面白いから来ているのではありません、レオンに会いに来ているのです」
「それは光栄ですね」
「そう思っているようには全く見えません」
 リゼルは口をとがらせた。
「思っていますよ。三の姫に気にかけられるなんて傭兵の身には余るほど光栄です」
 レオンは気にした様子もなく、適当にあしらう。
 王国の三の姫が、一傭兵にしかすぎないレオンの部屋を訪れるのはいつものことだった。
 唐突な訪れに初めの頃こそレオンは驚いていたが、最近はこうしてあしらえる程度に慣れていた。
(最近は、か)
 先だっての遠征を思い出し、レオンは思わずため息をつく。
 傭兵としてある程度名が売れていたためか、魔王討伐の先方隊として王に雇われてからそろそろ半年になる。
 何度も組まれた討伐部隊は、城へ向かうたび追い返されていた。
 不思議なことに、ある時期から全く戦死者は出なくなったものの、城の前に張り巡らされた幾重もの罠と魔王の不思議な力によって何度も撤退を余儀なくされている。
 そろそろ、城内での肩身が狭くなってきていた。
「これからのことを考えているのですか?」
「ええ、よく分かりましたね」
 リゼルに指摘され、レオンはうなずく。
「不思議なことに、魔王は戦う気などないように見えますね」
「それでも討伐には行かなきゃなりません」
「お仕事ですものね。……終わったら、どうするつもりなのです?」
「雇ってくれる人がいればどこへなりと行きますよ」
 互いに言葉数は多くない。会話の間に何度も静寂が訪れるが、お互い気にも留めていなかった。
 いつものことだ。
 視線を合わせることすら少ないが、それでも不思議と居心地は悪くない。
 この距離が二人にとって一番良いのだろうとレオンは思っていた。
「レオンは……」
「何です」
「レオンは何故、傭兵になろうと思ったのです」
「金はないけど、自信はあったからです」
「自信ですか」
「生まれたときからずっと、自分で自分の身を守っていましたから」
 大したことではないように言い放つレオンの顔を、リゼルは碧の瞳でまっすぐ見据える。
「すばらしいことですね」
「そうでもありません。家族なんていませんでしたし」
「……ならば、私と家族になりましょう」
「意味分かっておっしゃってます?」
「ええ。あなただってうすうす気づいているでしょうに、意地の悪いこと」
 リゼルの指摘は最もだった。
 レオン自身、リゼルの好意に気がついてはいたが、幼い子どものあこがれのようなものだと一蹴して気にしないようにしていた。
(自由のない立場上、仕方ないのだろう)
 王国の姫として育ったから、外の世界に憧れているだけで、ただ、自由に見える傭兵の身がうらやましいのだろう。
 そう結論づけている傍ら、少しずつ形成されつつある自分の気持ちに、レオン自身も気づいていた。
(……)
 一心に慕ってくれる相手のことを気にしないようにはできても、気にならないわけはないのだ。
 ただ、その気持を認めてしまうことに引け目を感じていた。認めてしまえば、後戻りできないのではないかという恐れもあった。
 だからレオンはずっとリゼルに素っ気ない態度を取っていたのだが、どうやら逆にそれがお気に召してしまったらしく、今に至る。
(このままの関係が一番いい)
 変わらない一定の距離を保つことができればいい。
 何かあればきっと自分の感情は明確な形を持ってしまうだろうから。
 親愛の情と恋情の境まで来ている気持を確かめながら、レオンはリゼルの姿を盗み見た。

 城内をゆくリゼルは、見知った姿に恭しくお辞儀をした。
「シアお姉様、おはようございます」
「……」
 シアはリゼルを一瞥すると、眉根を寄せてきびすを返した。
 顔を見たくなかったのだろう。気分を害してしまったに違いない。
 シアの傍付きの騎士は一礼すると同じようにきびすを返して去っていった。
(ごめんなさいと、あと何回言えば笑ってくれるのかな)
 母の身分がさほど高くないからか、リゼルは兄姉にいい顔をされたことがない。
 いくら見た目が似ていても、たとえ同じ金の髪を持っていても、同族として見なしてくれたことはなかった。それは兄弟に限らず、城内の殆どの人間に言えることでもある。
 しかし、身分としては「姫」であるからか、臣下は上辺だけにこやかに対応してくる。
 慇懃さに隠した心が透けて見えるせいなのか、どこにいても、嫌な空気がちくちくと肌を刺してくるような気がしていた。
 自由になりたいなどと考えたことはない。姫として生まれた以上、城の中で生きていくのが役割だと分かっている。
(レオン)
 気が滅入ることばかり考えているときには、決まってレオンの姿が頭に浮かぶ。
 慇懃でもなく、冷たくもない、ちょうど良い距離にいてくれる存在。
 国に雇われた身だから、いずれはどこかへ行ってしまうけれど、ただひとときだけでも傍にいたいと思える唯一の存在だ。
(良いことではないようだけど)
 レオンとリゼルとが親しいことに、いい顔をするものはない。
 品位をおとしめるだとか、所詮は卑しい出の姫だとか、あからさまな陰口をきいたことは何度もある。
 だが、そんなことを気にしていてはいずれ何もできなくなってしまうのではないかと思うのだ。
 だからこうして、気が滅入ったときにはレオンに会いに行くことにしている。
「レオン」
「……またですか」
「ええ、またです」
 めんどくさそうな顔をしながらも、決して追い出そうとはしない。
 上辺だけの笑顔を貼り付ける臣下や、あからさまに拒否をする兄姉などよりはずっと気が楽だった。
「また、魔王の城へ向かうと聞きました」
「ええ、それが仕事です」
「気をつけてくださいね、あなたの訃報を聞くのは嫌ですよ」
「……ご心配はありがたいが、勝手に殺さないでください」
 レオンは困ったような顔で苦笑する。
 リゼルもつられて笑った。レオンが強いのはリゼルも十分に知っている。
 ただ、もしもレオンがいなくなってしまったら、この城はまるでそこら中に茨の生えた牢獄だろうと思ったのだ。
「リゼル様も、気をつけて」
 不意にレオンが表情を硬くする。
 リゼルはきょとんとした顔で問いかけた。
「何にです?」
「……いえ、何だか嫌な予感がするもので」
 リゼルの兄姉があまり彼女をよく思っていないということはレオンも知っていた。
 どのような陰謀が渦巻いているのかまでは知らないが、あまり良くない噂を聞いたことがある。
 最近、とみに不穏な噂を聞いたものだから、心配で仕方がなかった。
 だがレオンの心情はお構いなしに、リゼルは不思議そうな顔でなおも問いかける。
「嫌な予感……? レオン、どうしたのです。疲れているのですか?」
「そういうわけではありませんが」
 どこに誰の目があるか分からない。しかもレオンはこの国の騎士ではなく、金で雇われた傭兵だ。
 あまり、国の事情に首をつっこみすぎるのは得策ではない気がしていた。 
(……)
 それなのに、この幼い姫のことが心配で仕方がない。
 雇われた身としては出過ぎた感情だとレオン自身も気づいていたが、同時にこれが抑えようのないものだとも分かっていた。
 だから、抑えようのない感情をこれ以上直視しないよう、リゼルから視線をそらす。
 リゼルはしばらく考えた後、困ったように笑った。
「私なら大丈夫ですよ。……三の王女ですし、殺めたとことで国益にも国損にもならないわ」
「何を言ってるんだ」
 驚いたように目を見開くリゼルを見て、レオンは自分が敬語でなかったことに初めて気がついた。
「失礼しました」
「いいえ、どうせならそのまま話してください。その方があなたらしいわ」
 リゼルは笑って続きを促す。
 レオンはうろうろと視線をさまよわせながら、独り言のようにつぶやいた。
「俺は国を心配しているんじゃない、あなたを心配してるんだ」
「……」
 懇願するような表情で、レオンはまっすぐリゼルを見据える。
「頼むから『死んでもいい』みたいなことは言わないでください。あなたがそんなことを言っていては討伐になどとてもじゃないが向かえない」
「ありがとう」
 レオンの表情に映った真剣な色を見つめ、リゼルは笑った。



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