シンデレラ・ストーリーサーバー 1



 夢見ていたシンデレラストーリーは訪れないまま、卒業を迎えた。
 優希はベッドに寝ころんだまま、ぼんやりと天井を見上げる。
 恵まれなかったわけではない。友もいて恋もしたが、何だか全てがぬるま湯のようで淡かった。
 ――これでよかったのかな、と思わないでもなかった。
「まあ、いいか……」
 制服が皺くちゃになったところで、明日からはもう着ない。しばらく寝よう、と彼女は目を閉じた。

 青の双眸に金の髪。整った顔に痩身の体躯、きらびやかな衣装。
 まさにおとぎ話の王子様、という形容がふさわしい人物。
 優希が目を開けた時、そのような男が微笑みながら見下ろしていた。
(ひどい夢だな……)
 いくら美男子が立っていても、背景には安い蛍光灯が灯っている。
 夢と分かりつつ優希は上体を起こし、男の目を見据えた。
「何かご用でしょうか」
「ああ、起きていらっしゃいましたか」
 男は深々と頭を下げる。
「私、ストーリーサーバーの林田と申します。無為な青春時代を過ごした方へ、ご希望の青春ストーリーを提供するサービスを行っています」
「はあ……」
 優希は目を瞬かせる。
 ――めちゃくちゃな夢だ、ロマンチックにするならするで、ちゃんとしてほしい。
 林田は優希のような態度に慣れているらしく苦笑した。
「夢ではありません。いきなり芝居のような衣裳を着た美男子が現れれば無理もありませんが、仕事なもので」
「セールスならお帰りいただけませんか」
「ご不快でしたら申し訳ない。ただ、奥様には許可をいただきましたので、お話だけでも聞いていただけないでしょうか」
「奥様……?」
 母親は部屋の扉の前に立って、にこにこしながら優希の様子をうかがっている。
(何してるんだあの人)
 私がしっかりしなければ――、そう思うと優希は目の前の男をもう一度見据えて座り直す。
「あの、とりあえず座っていただけますか」
 話に興味があるわけではなかったが、いつまでも見下ろされているのは怖かったのだ。

 林田の話は嘘ではないらしかった。
 ――「無為な青春時代を過ごした方へ、ご希望の青春ストーリーを提供いたします!」。
 派手なパンフレット。この服も髪も制服なのだと言う林田に、『青春ストーリー』の例を丁寧に説明され、優希は困惑する。
「で、そのストーリーのテーマは自分で自由に決められるってことですか」
「はい! 詳細を決めてしまうと面白みがなくなりますので、大体のテーマを決めていただければこちらでご希望のストーリーを提供します」
「私、未成年ですし。支払えるかどうか」
「お金は頂きません。お客様からは、想像力をいただきます」
 林田は嘘のなさそうな顔でにこにこと笑っている。
「どうやって」
「それは企業秘密です!」
 林田は子供のように、人差し指を立てる。苦笑しつつ、優希はもらったパンフレットを畳んだ。
「そうですか。面白いサービスですね。……私は結構なので他で頑張ってください」
「えっ」 
「お話は聞きました。聞いた上で、結構です。いらないです」
「しかし……、お客様、青春時代に後悔があるのでは?」
「え、特にないですよ」
 優希は首を振る。恵まれないわけではなかった。ただ面白いこともなかっただけのことだ。
 ふと思いついて、優希は疑問を口にした。
「だいたい、どうやって『青春時代に後悔があるかどうか』を見分けているんですか? 私は誰にもそんなこと言ってないのに」
「企業秘密です!」
 どうやら言ってくれるつもりはなさそうだ。
 髪もウィッグで目もカラーコンタクトの日本人でしかないようだし、明らかに胡散臭い。
「そうですか。とりあえず、いらないです。他の人を当たってください」
「では、ではお試しで! 少しだけお試しでどうでしょうか!」
 必死の形相で食い下がられ、優希はぽかんと口を開ける。
「実は僕、もう後がなくて。今日は断られ続けていて、一件でも取って帰れないとおしまいなんです!」
 泣き出しそうな表情からすると、本当に断られ続けているのだろう。
 大の男から土下座せんばかりに頭を下げられ、優希は何も言えなかった。
(社会人って大変なんだな……)
「お試しで結構です! 無料です! 何もいただきませんので!」
 林田はさらに続ける。
「え、あ、はい、まあ……」
 肯定するつもりはなかった。あいまいな相槌のつもりだった。
 だが、困惑しつつも優希が頷いたあたりで、視界が一瞬暗くなった。

「優希、制服が皺になるわよ」
 目を開けると、母親が立っていた。
 どうやら再び寝ていたらしい。
「林田さんは帰ったの?」
「林田さん? どなた?」
「さっき来てたお兄さん。金髪の」
 着替えを取り出しながら優希が聞くと、母親は怪訝な顔をした。
「誰も来ていないけど……」
「え? お母さんさっきそこで話聞いてたじゃん」
「私はちょっと話し込んでて、さっき帰ってきたところよ? 誰か来てたの?」
「あれ……」
 知らないふりをしているのかと思ったが、母親は本気で困惑しているらしい。
(もしかして、全部夢だったのかな)
 いや、夢に違いないだろう。支離滅裂だ。
 優希はそう結論づけると着替え始めた。

 夕食の後、コンビニに行きたいと弟が言い出したのは偶然だったし、自分がついていったのも偶然だ。
 加えて言うなら、そこで元クラスメイトの男子に会ったのも偶然。
 そしてその偶然ついでのように、クラスメイトの彼は落ち着かない様子になり、やがて自動扉の脇で決心を固めたように口を開いた。
「あのさ、――俺、実はずっと上野のことが好きで」
「え?」
「一緒のクラスになった時からずっと……。だからその、俺と付き合ってとは言わないけど、その、せめて、お友達になってください」
 優希はまじまじと目の前の男子を見つめる。
 まさかこんなことが本当に起きるなんて、夢でも見ているのではないか。
(……)
 こんな、あまり関わりもなく、優希の方では正直顔もあまり覚えていないクラスメイトの男の子がずっと――。
 結束も固くそんなに人数もおらず全員親友のようなクラスで唯一優希が顔を覚えていない名前も知らない男子がずっと――。
「いや待て誰だあんた」
 こんな男子はクラスにいない。
 優希が冷静になるのと、周囲が暗転しやがて見慣れた自分の部屋に変わるのは同時だった。

 見慣れた自室。そこにある異物こと林田が捨てられた犬のような目で優希を見ていた。
「何たる……! クラス一のモテ男から告白されたのに断ったのですか」
「いや誰なのあれ。知らない子だよ」
「クラス一のイケメン設定の持杉一男くんです」
「名前ちゃんとしてあげて」
 クラスにいない男子だとは思っていたが、どうやら林田の創造物であるらしいと優希は理解した。
(というか……)
 先ほど見せられた派手なパンフレットの通り、どうやらこの頼りなげで胡散臭げな男性は、優希に『青春』を見せることができるらしい。
 そして乾いた青春を潤った青春に変える力があるようだ。
 営業トークが事実であることをすんなり受け入れている自分に驚きつつ、優希は慎重に言葉を選ぶ。
 ――あまりにも。
「内容がひどいというか雑というかなのはお試しだからなの?」
 言葉を選んだつもりが返ってきつい言い方になってしまったのを自覚しながら優希は問う。林田は目を丸くした。
「ひどい?」
「いや、雑というか」
「ざつ」
「青春ってこう……、一緒に何か乗り越えたりとかそういうのじゃないかな、試練的な」
 例えば文化祭で起きたトラブルや部活での大きな大会などを乗り越えて育まれる友愛をイメージするのだと優希が告げると、林田は初めて聞いたとでも言うように目を丸くした。
 素直に聞いてくれる様子に、優希の口もついつい滑る。
「ほら、大きな試練に仲間と結束して立ち向かう的な、試練が大きければ大きいほど良いかな、って私は思うんだけど」
「なるほど……!」
 きらきらと大きな目を輝かせる様子に、優希は一つ咳払いする。
「そんなわけでとりあえず、お試しは終わったから帰ってください」
 雑な青春を体験するくらいであれば、今日の晩ごはんを豪華にしてもらった方がずっと良い。
 そう思って立ち上がろうとする優希の足に林田が縋りつく。
「お願いです、お願いがあるんですう……!」
「何ですか」
「もう一度、もう一度だけチャンスをください! 今度はもっと良いものを用意しますので」
「契約しませんってば」
「お試しだけです! 無料です!」
 足蹴にもできず困惑しきりの優希を見上げて林田は笑顔を作る。無駄に整った顔が却って苛立った。
 優希はちらりと時計を見る。不思議なことに時間は一分も進んでいないようだった。
(まあ……、いいか)
 今まさに、二度とない経験をしていることには間違いない。
 ぼんやりと淡い高校生活も、楽しくないわけではなかった。だが、『青春のお試し』だなんてこんなにファンタジックな経験はそうそう――。
 考えている間に、視界は暗転した。



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