にせものおやこ


 玄関のインターホンは壊れているから、チャイムを鳴らさないで家の中に直接声を掛けた。
「川原のおじちゃーん」
「はいはい」
 ガラガラと引き戸が開き、長身の男性が姿を現す。短い髪に手をやって、川原は驚いた表情で問いかけた。
「瑞樹ちゃんかいな、どないしたん?」
「今日、一人」
 慣れた様子で瑞樹は答える。黒のポニーテールをふわりと風がくすぐった。
「さよかー。ほな上がりや、ごはんはもう食べたんか?」
「うん」
 瑞樹はカーキ色のダウンジャケットを脱ぐと、川原に続いて家の中に入った。
 こたつとテレビ、小さな本棚のある居間。瑞樹がいつも座る場所には座布団が敷かれている。
「食べてきたんやな。したらテレビでも見よかいな。お菓子もあんで」
 にこにこと笑うたび川原の顔に皺が刻まれる。武骨な手でジャケットをハンガーに掛ける様子を見つめながら、瑞樹は唇をとがらせた。
「こんな時間に食べたら太るー」
「ええがな。瑞樹ちゃん痩せすぎやで、もうちょい肉つけんならんわ。……ほれ、どうせやったら持って帰りんか」
「……うん」
 川原が隣の台所に消える。何を持ってくるのか瑞樹には既に分かっていた。
 金平糖のつまった、飾り気のない透明な袋。瑞樹が昔、大好きだったもの。
(もらっとかなきゃダメかな……)
 甘いものは嫌いじゃないはずなのに、このごろはもらう度にもどかしい気持ちになってしまう。
「ありがとう」
「ええよええよ」
 にこにこと笑う川原の表情を見てしまうと、『甘すぎて今は好きじゃない』とはとても言えなかった。
 がさがさと金平糖を鞄にしまいながら、ふと気づいたようにして、瑞樹は顔を上げる。
「沙耶ちゃんに挨拶してくる」
「……ありがとう」
 川原は穏やかな顔で礼を言い、瑞樹の後を追った。

 仏間があるのは廊下を挟んだ向こう側。真っ暗な中でも、仏具が存在を主張するようにほのかに明るく光っていた。
「この間沙耶ちゃんの夢見たよ」
「もう別に『おばちゃん』って呼んでも怒らんと思うで」
 仏間の電灯をつけながら言う川原を一瞥し、瑞樹は遺影に告げ口をする。
「沙耶ちゃーん、おじちゃんこんなこと言ってるー」
「やめてえ、あいつやったらほんまに天国から戻ってきて怒りそうやわあ」
 頭をかく川原の様子に瑞樹はくすくすと笑い、線香をあげる。鉦を鳴らして手を合わせた。
(五年かあ)
 何も変わらないままに過ぎたせいか、それよりももっともっと長かったような気がする。
 遺影の中で微笑んでいる沙耶乃が眩しくて、瑞樹は少しだけ引きつった顔で笑った。

「いやしかし久しぶりやなあ……」
 湯飲みを二つ置きながらそう川原が呟いたのは、瑞樹がこたつに入って少ししてからのことだった。
「先月も来たよ?」
「昔は毎日来とったがな。お母さんに怒られたから家出してきたーって言うて何日おったかいな」
「昔の話だよ……」
 小学生になったかならなかったか、それくらい昔の話だと瑞樹は記憶している。
 あまり思い出したくないことなので黙っていると、川原は困ったように苦笑した。
「まあ、もうそんな理由では来えへんわなあ」
「さすがにー。だって私来年で高校二年生だよ」
 そうやって自分で口にした言葉に、瑞樹はどこか心が冷えるように感じていた。
(……普通の高二なら来ないよね)
 昔なじみとは言え、近所のおじさんの所へ頻繁に遊びに来る理由を、いったい川原は何だと考えているんだろう。
 この人は、自分の好意にどこかで気づいていたりするんだろうか。考え込む瑞樹に、川原はしみじみと呟く。
「そやったなあ、大きなったなあ……」
「ううん、まだまだ子ども、ずっと子ども」
「ん? そうか? 大きなったと思うけどなあ」
「子ども、子ども」
 自分で言い出した「高校二年生」を懸命に否定する。
 そう言っておけば、まだまだ自然に川原の傍にいられるような気がしていた。
「さよか、……まあ、そういうところ見ると子どもやわな」
 ぽんと、瑞樹の頭が軽くなでられる。
 大きな手のひらの感触が嬉しくて、ついついゆるみそうになる頬を瑞樹は慌てて引き締める。
「うん。……あ、始まった」
「あらあ。こんなん好きか。……おっちゃんどれがどの子やら分からへんわ」
 テレビに映っているのは若いアイドル集団だった。たびたび彼らの名前を間違える川原に何度も説明しながら、時間だけが過ぎてゆく。
「若い子の顔はよう似とるからなあ……」
「私のこともそのうちわかんなくなっちゃったりして」
 冗談のような言葉で、瑞樹は恐る恐る川原の反応を窺う。
 ちょっと迷って答えるかと思っていた瑞樹の予想に反して、川原は案外あっさりと否定した。
「ええ? 何でやの、瑞樹ちゃんは特別やわ」
 まっすぐ瑞樹を見据えて川原は笑う。その表情からどうしてか目をそらせないまま、瑞樹は黙り込んだ。
 二人の沈黙の間に、テレビから聞こえる笑い声だけが響いている。
「……」
 言い出すべき言葉を見つけられないまま、瑞樹はテレビに目を戻した。
「あ、聡くんが……」
「えっと、黒くて短い髪の子かいな」
「違う……」

 テレビを眺め、甘いものを口にしている内に瑞樹はだんだんと睡魔に負けそうになってきていた。
「……うーん……」
 結局勝てずに、そのままごろりと横になる。
 川原が布団を肩に掛けてくれるのがわかった。頬に触れた手のひらに、瑞樹は安心して瞳を閉じる。
「……」
 川原は困ったような顔で瑞樹を見ると、再びテレビに目を戻した。
「子ども、なあ……」
 小さく呟く声はきっと、騒がしいバラエティにかき消されて聞こえていないことだろう。
 二つほど番組のエンドロールを見送ったあたりで川原はふと時計を見上げた。針は十時を指している。
「瑞樹ちゃん、そろそろ時間なんちゃうん」
「んー……」
 ごろんと寝返りを打つばかりで、全く起きる様子のない瑞樹に川原は小さくため息をついた。
 ぽんぽんと、頭に軽く触れる。
「起きい」
「うー……こたつ……寝る……」
「あかんあかん、寝るんやったらおうちのお布団で寝え。……もう」
「ううん」
「みず……あああ、どこ行きよるねん、もぐらか」
 より深くこたつに潜っていく瑞樹に、川原は根負けしたように立ち上がった。
 その後ろ姿を瑞樹はこたつの中からこっそり眺める。恐らくは、台所にある電話台へ向かったのだろうとあたりをつけた。
「もしもし。夜遅くにすいません。川原です。……いえいえ、こっちこそお世話になりますー。……そうなんです、寝てしもて……いやいや、僕は別にかまんのですけど心配してはるかなと……」
 正解だ。瑞樹は再びこたつに潜り込みながら目を閉じて川原の声を聴く。
「信田さん今日は……。……ああ……そういや一人やって言うてましたわ。……うーん、ほな僕が預かりましょか?」
(成功)
 こたつの中で小さく勝利を宣言した。こもって聞こえる川原の声を聴きながら、瑞樹は睡魔と戦い続ける。
「……いえいえ、たぶんこのまま家に帰しても危ないし……。どうせ明日土曜日やし。はい、はい。失礼します」
 足音が近づいてくる。こたつ布団がばさりとめくられ、ひやりとした空気が入ってきた。
「瑞樹ちゃん、ほら、二階行くで」
「こたつ」
「あかん。寝るならお布団。こんなとこで寝られたかなんわ」
 小さい子に言い聞かせるような態度の川原。
 瑞樹はもぞもぞとこたつから出ると、川原に向かって両手を広げた。
「抱っこ」
「アホぅ」
 短い言葉で切り捨てられる。
 瑞樹はだだをこねるように再びごろんと横になった。川原が困り果てたように頭を抱える。
「いくつやのほんまー……ちゃんと起きてーやー小さい頃やったらよかったけどさすがにおっちゃんでも……。……あ、いけた」
「やった」
「もう、ほんまに今回だけやで。ほんまのほんま」
 その「今回だけ」が何度も何度も続いているのは、川原も瑞樹もよく知っていた。
 しばらくお互いに沈黙が続く。居間を出て、二階へ向かう階段にさしかかったあたりで川原が小さく問いかけた。
「……なあ瑞樹ちゃんほんまにちゃんと食べとんか? 軽いわ」
「……金平糖が好き……」
「こらもう。お菓子ばっかはあかんよ」
 すぐ近くに聞こえる優しい声。慣れ親しんだ香り。太い腕の感触と、あたたかさ。
 身体を寄せると、応えるようにしてぎゅっと抱き直してくれる。
 たっぷりと甘やかされているのがとても心地よくて、瑞樹はついうとうととまどろんでしまう。
(金平糖……)
 きっと金平糖が好きだと言い続ける限り、川原はこうやって扱ってくれるんだろう。
 甘いものは元々好きなんだから、別に苦なんかじゃない。少しもだ。
 溶けた砂糖の中に全身を溶かしてゆく夢を見ながら、瑞樹は瞳を閉じた。

 川原は二階にある部屋の扉を器用に足で開けると、瑞樹をそっとベッドに横たえる。
 現在は主を持たないその部屋は、昔から瑞樹のお気に入りだった。
「沙耶、服借りんで」
 返事がないのは分かっていながら、小さく呟く。
 部屋の奥にあるクローゼットを開けて、瑞樹の体よりは少しばかり大きいパジャマを取り出した。
「ほれ瑞樹ちゃん、おっちゃん出ていったるから着替え。……。……?」
 返事がないことをいぶかしがって瑞樹の顔を覗き込む。
「あらあ、ほんまに寝てもたんか」
 疲れていたのか、すっかり寝入ってしまっているらしい。幸せそうな寝顔のまま微動だにしない。しばらくぼんやりと見つめた後、慌てて布団を掛けてやる。
 ぽんぽんと、布団の上から肩のあたりを軽くなでると、小さく瑞樹は笑ったように見えた。
「……人の気も知らんと」
 自分の指に瑞樹の髪を絡める。慣れた動作でするりと髪留めを外してやり、枕元へと置く。
 慈しむように髪を撫でた後、川原は立ち上がって部屋を出、ため息をつきながら呟いた。
「しゃあない子やわ、ほんまに」
 扉にもたれかかりながら、煙草に火をつける。
「ごめんなあ」
 情けない声で、誰に向けてなのか分からない謝罪の言葉を呟いた。
 沙耶乃がいたときは一緒に、間近でずっとその成長を見守ってきた、近所の女の子。
 もう高校生にもなるというのに、自分に見せるその姿はわざとらしいほど幼い。何故彼女がそのような行動を取るのか、どこかうっすらと見え透いていた。
 そして自分が、彼女を子供扱いし続けている理由も、嫌というほど分かり切っていた。
(臆病やな)
 小さな境界線だけが越えられないなど、まだ恋を知らない子どものようだ。そうは思うものの、臆病にならざるを得ない理由は、掃いて捨てるほどに転がっていた

 だから、自分は「親」としてひたすらにただただ「子供」を甘やかし続ける。
(瑞樹ちゃんもか)
 似たもの親子なのだと思いこむことにして、川原は煙を吐き出した。















後書きという名の解説です。
要はお互い今の関係を壊すのが怖いので親子のような仲を演じ続けてるって感じです。
……甘甘を目指していたのにどうしてこうなったどうしてこうなった。
微妙に続けていくつもり。です。




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