久方ぶりの来訪者。
何よりその再会を喜ぶべき相手の訪れに、リリアの心は浮き立っていた。
「ディオン様」
「どうした」
「勇者フェリオ様がいらっしゃいました」
ディオンはその薄いブルーの瞳を丸くすると、読みかけの本を閉じる。
立ち上がりながら、ふと思い出したようにつぶやいた。
「……茶葉の在庫はあっただろうか……」
「大丈夫、お客様にお出しできる量はあります。では準備してきますね」
きびすを返そうとするリリアを、ディオンは呼び止める。
「いや、私がやろう。そう毎回リリアの手を煩わせるわけにも」
「そんな、これは私の役目です」
「役目と言うが、何も私はリリアをそういった理由で城に呼んだわけでは……」
「うわーすっごくいたたまれないほのぼのムードが肌を刺すー」
譲らないやりとりの間に、第三の声が登場した。
リリアは驚いて振り向き、ディオンはつまらなさそうな表情を声のした方に向ける。
すらっとした長身に外套を纏った青年が二人を見据えていた。
「いたのか」
「いや明らかに何回か目が合いましたけど魔王様?」
フェリオはその紫の瞳に不満の色を浮かばせる。
ひときわ目を引くシルバーブルーの長髪がふわりと風に揺れた。
「まあいいや。久しぶりに来たんだし、話でも聞かせてよ」
フェリオは小さく息をつくと、切れ長の瞳を細めて笑った。
結局ディオンが折れ、いつも通りリリアが紅茶を淹れた。
「しかしフェリオがわざわざ訪ねて来るとは、何かあったのか」
「いや? いろいろ一段落したし、魔王様の顔見るついでにとらわれのメイドちゃんでも助けに来ようと」
「最後のはいらぬ世話だな」
むすっとした表情でディオンは紅茶に口をつける。
フェリオはにやにやと笑いながら茶菓子に手を伸ばした。
「相変わらずの仏頂面だなー、メイドちゃんには優しい顔するくせに」
「その『メイド』と呼ぶのは何とかならないのか」
「ふふ」
言い合いながらも、やりとりを楽しんでいるようにリリアには見えた。
微笑するリリアを見据えながら、ディオンは言い含めるように主張する。
「そもそもだ、私はリリアをメイドとして雇ったわけではない」
「あーはいはい前もその話聞いたよー」
お腹いっぱいといった表情でフェリオは首を振る。
あっさりと言葉をかわされたディオンは、フェリオに矛先を向ける。
「……だいたい、お前も『王子』と呼ばれるのを嫌っていただろう」
「よく覚えてるね」
フェリオは困ったように笑った。
「だって俺は魔王退治の勇者様だし、旅にそういう肩書きはいらないの」
得意げに胸を張ってみせるフェリオ。まだどこかあどけなさの残る表情は少年のようにも見えた。
フェリオはふと思い出したように笑う。
「まあ、わざわざ最終兵器を背負ってやってきたのに、魔王様が平和主義に目覚めていたのには驚いたけど」
「いえ……もともとディオン様は平和主義だったように思います」
元来ディオンは誰とも戦うつもりなどなかったのだと、リリアは思う。
ただその秀でた魔力と、魔法狩りに来たものを追い払い続けた不敗の経緯が一人歩きし、いつの間にか「魔王」と呼ばれるようになっていたにすぎない。
初めはほんの小さな社会で流れ始めた噂でしかなかったのに、いつの間にか尾ひれがつき、あっという間にディオンは「魔女や魔法使いを統べる王」として名が知られるようになっていた。
「確かに無益な戦いはもともと好かなかったが、リリアに出会うまでは、いざとあらば戦いも辞さないと思うところはあった」
リリアの言葉を肯定するでも否定するでもなく、ディオンはつぶやく。
「地獄からやってきたみたいな噂も流れてたしね。だって、全盛期は何万人に追われてたよ?」
「……」
ディオンはため息で返した。
「魔王」として周知され始めてからはあらゆる討伐隊や傭兵がひっきりなしに訪れた。
懸賞金がかけられ、国では多数勇者が募られ、国費を割いて兵が送り込まれるその様は、異常でもあった。
「しかもその全部をばったばったとなぎ倒すもんだからエスカレートするし」
「こちらだって死にたくはない。……とはいえ、犠牲は多かったように思う。リリアやお前と会うまでは」
複雑そうな表情のディオンに、リリアはかける言葉を見つけられなかった。
「こんなにすんなり情勢が変わって、思うところある感じ?」
「……」
ディオンは言葉を返さず、代わりに小さく息をつく。
薄いブルーの瞳は、どこか遠くを見つめているようだった。
「確かにね。ホントずいぶんとやっつけてくれたものだね」
ディオンの様子など気にしないような口調で、淡々とフェリオはつぶやく。
「フェリオ様」
リリアは思わず咎めるような口調になる。
ディオンだけを責めるのはお門違いであるような気がしたのだ。
「でも戦うって要はそういうことでしょ、犠牲になった人もそれは分かってると思うよ」
「お前にフォローされるとは思わなかった」
「いや、だって魔王様がしんみりするとちょっと怖いもん。変に思いつめそうでメイドちゃんかわいそう」
軽やかな口調で言ってのけるフェリオにリリアは笑った。
「あのころとはうってかわって、ずいぶんと静かに暮らせるようになりました。フェリオ様とディオン様のおかげです」
現在、魔法を使える者および魔女、魔王を迫害することは違法となっている。その法案を形にしたのが、他ならぬ勇者と魔王、フェリオとディオンだった。
むろん、ディオン直々に国に掛け合うわけにはいかないから、フェリオが提案し、ディオンがそれに協力をした形になる。
「リリアも功労者だろう。そもそもリリアと出会わなければ、フェリオの言葉に耳を貸さなかったかもしれない」
「あーもーまた始まった幸せなのはよっく分かった、ホント分かった」
フェリオに言われてばつが悪くなったのか、ディオンは一つ咳払いをする。
「紙一枚にサインするだけでこうも変わるとは思わなかった」
フェリオの持ち込んだ条約にディオンがサインし、その条約を元に法は作られた。
「説得は、骨が折れたでしょう?」
法案を法令として形にするのは、並大抵のことではないはずだ。
きっとかけずり回ったのだろうと思いながら、リリアは問いかける。
フェリオは意外なことを聞いたというような表情でひらひらと手を振った。
「え? 説得はしてないよ、懐柔はしたけど」
「懐柔?」
「地位と権力と、あと金と国民からの信頼があれば簡単にことは進むよ」
フェリオは勇者であると同時に、某国の王子でもある。
(ということは)
その身に持てる全ての武器を活用して有力者を丸め込んでいったのだろうか。
ずいぶんと要領が良い、などと思いながらリリアは苦笑した。
「……せっかく美談だったのに」
「え? せっかくの美男子がだいなし? 遠回しにほめてくれた?」
「何と都合の良い耳をしているのだ」
半ば本気で呆れたようにディオンはつぶやいた。
「ま、法案を出した時期も良かったんだろうね」
「……フリージアの一戦か」
「うん」
魔法を敵視していたある国が、魔法部隊を持つ国との戦争に敗れた。
フェリオが法案を国王に提案したのは、この一報が世界中を震撼させたのとほぼ同時でもあった。
すんなりと法案は通り、今や魔法も魔女も魔王も国から迫害を受けることはない。それどころか、同じ法令を敷く国まで出てきたほどであった。
「リゼルとレオンはどうしている?」
「元気みたいだよ。たまに手紙が来るけど」
勇者のかつての仲間を思い出し、魔王は懐かしそうな表情で微笑んだ。
勇者一行と初めて出会ったのはつい最近のような気がしていたが、考えてみるとずいぶんと時が経っているらしい。
もし話を聞かずに追い返し続けていれば、きっと今日のような一日はなかったに違いない。
懐かしい日々を思い返しながら、ディオンは目の前の友人に感謝していた。
昔話の種も尽き、紅茶を何杯か淹れた頃、城には西日が差し込んできはじめていた。
「そろそろおいとましようかな」
フェリオが立ち上がり、リリアが外套を着せかける。
ディオンが何気なくその所作を見ていると、フェリオが珍しく真剣な表情で振り向いた。
「しかし変わってなくて良かった」
「お前も、大事ないようで安心した」
ディオンは笑う。
フェリオが思い出したように言った。
「そうそう、最近はだいぶ落ち着いてるし、俺、本でも出そうと思ってるんだよ」
「何の本だ?」
「魔王と召使いの物語」
得意げに、どこかいたずらっぽく笑うフェリオの表情が、リリアの瞳に焼き付いた。
「フェリオ様は人の心をつかむのが上手ですね」
「……そうか」
ディオンは短くそれだけ返した。
あまりにあっさりした返答にリリアは首をかしげる。
「いずれはフェリオ様が国を統べることになるのでしょうか」
「第二王子だから、継承権は兄にあるとのことだ」
言いながら、ディオンはティーカップを下げ始める。
「ディオン様、それは私が」
「いや、いい」
触らせてくれそうにないので、今度はリリアが折れた。
厨房への道を歩きながらふと思ったことをつぶやく。
「しかし、勇者様と魔王様とがこんなに仲良しなのだと、世間の人が知れば何と言うでしょう」
「……仲良し?」
ディオンは難しい顔をする。
リリアの形容にいまいち納得していないようだった。
「少なくとも、もう敵対してはいないでしょう」
「否定はしないが……」
(……あ)
昔のこととは言え、命をねらいに来た相手を「仲良し」と形容するのに抵抗があるのかも知れないとリリアはようやく気づいた。
「軽率な発言でした。申し訳ありません」
「いや……。いや、違う、そういう意味ではない」
リリアの意図に気づいたのか、ディオンは首を振る。
不思議そうに見つめるリリアの瞳から顔をそらして、小さくつぶやいた。
「フェリオばかりを気にかけるから、少々複雑だっただけだ」
「それは……」
返す言葉を探しながら、リリアは真っ赤な夕日に視線を投げた。
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