妖怪江戸散歩 割れかんざしのあるがまま 1



 見目麗しい男と、犬が一匹、途方にくれていた。
「……追い出された……」
 男がつぶやく。
「家賃払ってなきゃそりゃな」
 犬が答える。
 低くはあるが娘のような声だった。
「これからどうするべきか……」
「さっさと人の姿にしてくれ」
「ああやはり、ご近所に魚を配り歩いたのも悪かったのだろうか、イワナが小さすぎて不興を買ってしまったのか? ならば仕方あるまい、今からでも謝罪を」
「だから家賃とあんたの変態性癖のせいだっつってんだろうがこの似非薬師!」
「似非ではない! 自称薬師だ!」
「どこ否定してんだ! この……」
千代ちよ、後ろに人が立っているぞ」
 千代はくるりと振り返り、ぶんぶんとしっぽを振ってみせる。
「わんわんっ、ハッハッハ……っていねえじゃねえかこのバカ藤志郎とうしろう! ……あれ? 聞いてる?」
「ああ……。やはり犬はいい、甘えたような声といい、その尻尾といい……」
(絶対これも原因だよな……)
 千代はため息をついた。
 江戸の町の路地裏にて、千代と藤志郎が途方に暮れはじめたのはおよそ一時ほど前だっただろうか。
 藤志郎と共に日課の散歩から帰ったところ、自分たちの住まいには錠が下ろされており、戸には一枚の紙が貼られていた。
 千代に内容は読めなかったが、藤志郎から説明されて、行き場を失ったことを先ほど知ったのだ。
「こうなれば仕方あるまい。どこぞの無人島にて共に暮らそう。そしてイザナギとイザナミのごとく世界を創造する父母とな」
「最終的に私が黄泉行きじゃねーか! そもそも無人島なんて野生に帰ったらどうすんだ、いつまで経っても人になれんだろうが」
 小柄な体躯と、白い体毛。日本犬のような見目ながらその双眸は空の青。
(自然ばっかりの場所になんて行ったら、犬を通り越して狼になりそうだ)
 人になりたいと以前から熱望しているのは知っているはずなのに、何てことを言うのか。
 そう思って千代はぐるると唸ってみるものの、藤志郎は自分の世界に浸ってしまっているようだった。
「野を駆ける犬……か……。徐々に野生の勘を取り戻していき、最後に俺は襲われて果てるのだな……。いや、相手が千代なればそれもいい、喜んでこの身を差し出そう」
(聞けよ)
 濡れ羽色の総髪を頭の後ろで一つにくくり、涼やかな瞳で天を仰ぐ藤志郎。絵姿にすればさぞ美しかろうが、何せ話している内容が美しくない。
 自らの整った顔を自覚しているらしい男は放っておき、千代はきょろきょろとあたりを見渡す。
 昼飯時のこの時間、外に出ている人間はさほどいない。
「とりあえずは仕事見つけないとなー。犬にでもできる仕事があればいいんだけど……。喋る犬として往来で講談でもするか? でも妖怪なんて溢れてるからさほど珍しくもなかろうし……」
「……千代。私は相手をしてくれる者がいなければ死んでしまう病なのだが」
「自分で治せよ自称薬師。しかし私もあまり妖怪だと大っぴらにしたくないし、どうするか」
「稼げば千代は相手にしてくれるか」
「するする。というかあんたはその顔生かしてどっかで雇ってもらえ」
 懇願も含めて告げたものの、藤志郎はぐっと眉根を寄せただけだった。
「俺が人の下で働くほどの協調性を持っているとでも思うのか!」
「いや何で上から目線だよ」
「優しくしてもらえねば三日で逃げおおせる自信があるわ!」
「あーほんとだねー前の長屋の人は本当に優しくてよかったよねー、全くてめえ何で家賃滞納した!」
 養ってもらっている身で言いたくはなかったが、つい言葉が先走る。
 藤志郎は儚げに微笑んだ。
「……飢えていた犬に、小屋を作ってやったのだ……。ちなみに千代の作った作物と狩ってきた獲物も全て彼らに食わせてやった」
「何でよその犬には憐みの令出してんだよ! いいからあんたも職なり何なり探せ! 私も何か探すから!」
 そう言うと、千代は首につながった縄を引きずって歩きはじめる。
 藤志郎のきょとんとしたような声が追いかけてきた。
「え、俺置いていくの? 本当に?」
「喋り方変わってんぞ」
 振り返って唸る。
 どうやら藤志郎に一人で探しに行く根気はないらしい。
 だが甘やかしてばかりではいけないと、千代は歩きはじめる。
「そもそも、手分けした方が早……、痛い! ああもう、縄を引っ張るな、分かった! 分かったから」
 引きずっていたはずの縄はいつの間にやら藤志郎がしっかりと握りこんでいた。
 どちらが主人だと言いたいのをこらえ、千代は仕方なく藤志郎に引きずられていくことにした。

 裏路地を出て、藤志郎は賑やかな往来を歩きだす。
 千代も足元できょろきょろと、参考になりそうなものを探していた。
「太陽がまぶしい……」
 藤志郎が小さくつぶやく。
 元来、家にこもってばっかりだったせいか、その白い肌をちりちりと焼かれているようだった。
「ともかくは、一日なりとも住める場所を探さねばならんな」
 そう言いながらも、さして切羽詰まった様子はない。
(働く気ねえのかやっぱり)
 千代は再びため息をつく。
 藤志郎に働く気がないのであれば、千代がどうにかして働くしかないだろう。
 かといってそうそううまく行くような商売は思いつかなかった。
「さあ、お立合い、お立合い! 唐傘おばけの大道芸だよ!」
 往来の真ん中では、一本足の唐傘おばけが大道芸を披露していた。
 片足で器用に鞠を飛ばす姿を見物に、人がたくさん集まっている。
(真昼間から大変だな)
 この世にたくさん妖怪は溢れているが、本来なら夜行性の生き物である。真昼間、妖怪が往来のど真ん中にいれば目立ちに目立つ。
 当然、大道芸ならそちらの方が都合がいいのだろう。
 空高く上がるいくつもの鞠を遠巻きに見つめながら、千代はため息をついた。
(私は、あんまり自分が妖怪だって知られたくないけどなあ)
 藤志郎は唐傘おばけを気にした様子もなく歩を進めていく。
 千代は声を潜めて聞いた。
「何か考えてんのか」
「ああ、現実から逃げ出す方法について考えている」
「逃避すんな! 金稼ぐ方法考えろよ!」
「世知辛い……」
「切なげに斜め上を見つめんな気持ち悪い」
 千代の言葉を聞いているのかいないのか、藤志郎は顎に手を当て、ぼんやりと考えているようだった。
 その思考の中身を蹴散らしたくなるのを、千代は眉根を寄せてじっと耐えた。
「ふむ……」
(お、止まった)
 藤志郎が立ち止まり、自然と千代も立ち止まる。
「飽きたな」
「おい」
 思わず大きな声が出ていた。
 千代はあわてて周りを見やる。女性が一人、近くを歩いていたが、気にしている様子はなかった。
 どうやら皆、大道芸に夢中らしい。
 ほっと一息つき、千代はそのままぎっと藤志郎を睨みつける。
 藤志郎は、心底面倒くさそうな顔をしていた。
「……千代、今日は野宿にせんか」
(えー……)
 昨日の今日まで、自分の縄張りで寝ていたから、見知らぬ場所で寝るのは落ち着かない。
 そう言いたいのはやまやまだったが、この自分勝手な主人が言い出したら聞かないのも千代は重々わかっていた。
(それじゃあただの野良犬と野良似非薬師じゃねえか……)
「ふふ」
 千代がげんなりした表情をした途端、小さな笑い声が聞こえた。
 藤志郎が大仰にため息をつく。
「先ほどから、何用かな」
「あら。私を待っていたように見えたけどね」
 千代が顔を上げると、そこには三、四十代くらいの女性が立っていた。
「大きな会話が聞こえてね。犬が喋っているもんだから、気になって」
(バレてる)
 見知らぬ人にばれてしまったことが悔しくて、千代は顔を下げた。
 女性は気にした様子もなく続ける。
「……家を探しているんだろう。職もあるし、どうせならうちに来てくれないかい」
 藤志郎の顔が「面倒だ」と言っていた。
 その様子が意外で、千代は首をかしげる。元来、藤志郎は「自分に優しい人間」には非常に愛想がいいはずだ。
(ご近所回りとか喜んでしてたし)
 藤志郎はなおも不機嫌に答える。
「用心棒なら他を当たってくれ。あいにく腕に自信はない」
「用心棒とは言ってないけど」
「顔が喋っている」
 段々と喧嘩腰になる藤志郎。
 それさえ、女性は面白がるように笑った。
「分かっちゃったら仕方ないね。うちの店、妖怪の仕業で困ってるんだよ。退治してほしくて……」
「断る」
 恐らく藤志郎がこうも断るのは、用心棒という肉体労働がついてくるからなのだろう。
 千代はぼんやりと、今日一晩過ごす場所が手に入るのならいいかもしれないと考えていた。
「あら。腰のそれはお飾り?」
「ああ、飾りも飾り。蘭方の技術で、人を斬れぬ刀を作ったのさ」
「そりゃ面白いね。あんたがダメならそちらの妖怪の子を番犬にちょうだいな」
(何か怖いなあ、このお姉さん)
 有無を言わせぬ口調と表情が恐ろしくて、千代は何となく顔をそむける。
 余裕ありげな表情の一方で、どこか必死であるようにも見えた。
「人のお話も分かるしおしゃべりもできるんだろ。夜になればたくさんの妖怪が歩く世の中で、何故隠すのかはわからないけどね」
「いや……、その……」
 「色々あるんですよ」と言いたいのを千代は堪える。
 真っ直ぐ千代に向けられている瞳には、焦りが宿っていた。
(?)
 千代が不思議に思う傍らで、藤志郎が仏頂面のまま答える。
「妖怪には妖怪ということか」
「そういうことさ」
「妖怪なぞ、夜にもなればいくらでも溢れてこよう。他を当たればどうだ」
「そうだね。でも、妖怪と言っても二種類いるし、どっちなのか見分けがつかないだろう」
 女性の言葉に、千代も藤志郎も黙り込む。
 女性が話すのは、最近とみに聞く話題だった。
「最近出てきた理性のない敵対妖怪、昔からいる、共存妖怪。今はこの二種類がうろついている」
「漢語ばかりの嫌な言いようだな」
「そうかい、そう呼んでいる人も聞くけどねえ」
 藤志郎がますます不機嫌になる横で、千代はふんふんとうなずきながら聞いていた。
(聞いたことはあるけど、そう呼ぶのか)
 千代は妖怪の一種ではあるが、人と共存しているから後者にあたるのだろう。
 前者の妖怪については、千代も噂ばかりで実際に目にしたことはない。
 ただ、夜になれば魑魅魍魎が跳梁跋扈しているから、その中に紛れてはいるのだろう。
 そして最近は、その中にも恐ろしい種類の妖怪が増えてきているというのも知っている。
「……」
 藤志郎が心底面倒くさそうにため息をついた。
「そちらの妖怪の子は、共存できるみたいだから、できれば来てほしいんだけどね」
(もしかしたら、住む場所とか職の提供とかいうより、困ってるのかなあ)
 断られても食い下がり、こうも執拗に頼むということは、きっとのっぴきならない事情があるのだろう。
 だからこそたまたま見かけた妖怪の千代と、それを連れた藤志郎に話を持ち掛けてきた。
 そう考え、千代は藤志郎に提案する。
「藤志郎、もうご厄介にならないか? どうせ行くところないだろ? 困ってるみたいだしさ」
「……一晩だけならな」
 千代の言葉に、藤志郎は不機嫌ながらもあっさり承諾した。
 女性がほっとした表情を浮かべる。
「ありがたいね。私は奈津なつというんだ。家はこの先の小間物屋だよ。……さっそく今晩、始末をつけてくれるとありがたいね」
「お前が構わないなら、それでいいがな」
 藤志郎はじっと奈津の目を見る。
 奈津は一瞬たじろいだようだったが、すぐに強気な口調で問いかけた。
「どういう意味だい」
「……まあいい。早く案内してくれ」
「わかったよ」
 奈津の案内で、藤志郎と千代は小間物屋へと向かった。



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