甘木先生

 見た儘書いた。見た儘なのだから、筋は通つて居なくて當然である。
 抑々、話に筋など要るのだらうかとは嘗ての大論爭だが、その筋の要るや要らぬやの大論爭を起こした大先生の、その筋の要らぬ方の、そのまた友人であり同じ師を持つ甘木先生のことをお話ししたい。
 その作家の甘木先生は来年、生誕百三十歳を迎へられる。
 世では隨筆家隨筆家、借金先生、果ては「阿房の鳥飼」とまで稱せられてゐるけれど(一部は先生の自稱)、歴とした小説家であり、錬金術師である。
 このところ、その錬金術師たる先生が、我が住居のある一室に、頻繁に現れる樣になつた。いつか寫眞で見た背広に丸眼鏡、半白の頭そのままで、顏もしかめ面であつた。
 いつも默つたまま難しい顏をして座つて居たので気詰まりであつたが、ある日到頭先生の方からお声がかかつた。
「これは何かね」
「はあ」
 先生のぢつとご覽になるのは、鉄道模型である。生前、汽車がお好きであつたことは聞き齧りに知つてゐた。
「汽車でございます」
「走るのか」
「レールがあれば」
「然うか」
 甘木先生は足元に轉がしてゐたらしい洋杖を振り上げて、模型の汽車に乘れるほど、小さくなつて仕舞はれた。
 今度はぢつとこちらを見上げて、發車はまだかと言ふ顏である。
「お待ち下さい」
 さう言ひながら汽車の前にレールを敷ひて、には驛の模型を据ゑ付けたときに、あつと気づいた。
 さう長くないレールしかないことを言ひ忘れた。ご滿足いただけるのか知ら。
「あのう、先生」
「これでよろしい」
 先生が早速二等の汽車に乘り込むと、電動機も付けないのに勝手に走り出した。
 どんどんとレールは伸びて、追つかける樣に汽車は煙をあげて、終には窓の向うへ消えて行く。
「先生」
「帰りの汽車を探して居たのだ」
 どこまでも伸びる鉄道の向うから、むすつとしたやうな礼が聞えた。
 
 ※この物語は虚構であり、実在の人物・団体とは何の関はりも御座いません。
 何の関はりも御座いませんが、内田先生おめでたうございます。ある岡山の文学館では特別展も行はれるとのことで、ご興味の方は是非お運びください。




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