饗宴 2



 翌朝、サチは早くに目を覚ました。
(あれ……)
 いつもと違う天井と、そして何より布団の感触に、サチはしばし考え込む。
 昨日のいきさつを思い出して、何とも言い難い感情が襲ってきた。
 不安とも違う、空寒いような心細さ。
(夢じゃなかったんだ)
 昨日はどこか、現実味がなかったから何とも思わなかったのかもしれない。
 遭難して体も心も疲れていたから、考える余裕がなかったのだろう。
(ちょっとだけ、怖いな)
 覚醒した頭でようやくその感情だけが受け止められた。
 落ち着いて考えてみると、とんだ冒険をしたものだとサチは思う。
「うーん」
 山独特のひんやりとした空気。
 サチは頭を振ってギュッと目を閉じる。そのままぐっと伸びをした。
(セキさんが、山を下りる道を教えてくれるって言ってた)
 昨日のセキの発言だけが頼りだった。
 山を下りさえすれば、現在地もわかるし、電話さえ借りられれば家族や学校と連絡を取る方法だってある。
 財布も携帯もサチの手元になかったが、交番を見つければきっと何とかなるだろう。
(大丈夫大丈夫。下りたら、まず交番探して、事情説明して、電話借りよう)
 これからのことだけを考える。何故ここにいたのかについては、わざわざ考えたくなかった。
 あまり、細かいことは気にしないほうがいいだろう。こんな不思議な事だって、もしかしたら世の中にはたくさんあるのかもしれないのだから。
 またも無理やりな解釈だとは分かっていたが、ともかくサチはそう結論づけると、布団をたたみ始める。
「……あれ」
 セキが朝食を準備しているのだろうか、米を炊くにおいが漂ってきていた。
(何か、お礼なり何なりできないかな……)
 いきなり訪ねてきた見ず知らずの高校生をもてなしてくれ、しかも一晩寝泊りの場所まで与えてくれた。
 宴に誘われたのが急だったこともあるが、お礼も言えていないし、何も返せていない。
 それどころか、セキにしてもらうばかりだった。
(お世話になりっぱなしじゃダメだ)
 朝食の手伝いくらいはしようと思い立ち、サチは身支度を整えはじめた。

 サチがそっと台所を覗き込むと、セキはかまどの前に座り込んでいた。どうやら火の加減を見ているらしい。
 サチに気づいたらしく、セキは立ち上がってにこにこと笑う。
「おはよう。ずいぶん早いね」
「セキさん、昨日はありがとうございました」
「え?」
 セキはきょとんとした顔でサチを見つめている。
「ご飯もごちそうになりましたし、部屋まで貸してもらって……」
「いいよいいよそんなこと。だって、一人で山の中歩くのは危ないよ。迷子なんでしょ」
 迷子という言葉がずいぶんと簡単に聞こえて、サチは少し心が軽くなった。
「あはは……。その、お礼と言っては何ですが、何かお手伝いします」
「お客さんにそんなこと」
「いえいえ、泊めてもらってるわけですし」
 このまま世話になるだけなって帰るなんて、サチはどうにも気が引けた。
 セキはサチの顔を見つめながら考える。
「んー。じゃあ、朝ごはん一緒に食べて。それがお手伝い」
「お手伝いになりません」
「しょうがないなあ。じゃあ、食器適当に出して並べて」
「はい」
 ずいぶんと簡単な手伝いなのは、おそらくセキが気を遣ってくれたからなのだろう。
 サチは食器棚に手をかける。木製、陶製の器が並んでいた。
 そのどれも、サチが見たことのないデザインのものばかりだった。
(ここだけ、時代が遅れている感じ)
 山奥だからなのか、それともセキが人と違う存在だからなのか、サチに答えは分からなかったが、少なくともこの家の雰囲気には合っているような気がした。
「食べられないものとか、ない?」
「ありません」
 セキに聞かれ、サチは首を振る。
 サチの出した皿の上に、川魚、山菜のお浸しなどが並んでいった。
「さて、食べようか。お腹すいたでしょ」
「ありがとうございます」
「そんなに畏まらなくていいよ」
 セキが苦笑した。
 手を合わせて、サチは箸を伸ばす。
 温かいご飯にほっとして、ふと疑問を口にした。
「それにしても、セキさんって早起きなんですね」
「まあ、人とは違うつくりだからねえ」
(やっぱり……?)
 サチは返事をしようとして言葉に詰まる。
 セキの頭に生えているのは、やはりまぎれもない角だ。
 にこにこと笑ってはいるけれど、顔のつくりはいかめしく、筋骨隆々で体躯もがっしりとしている。
 朝の陽ざしの中で見ると、まるでおとぎ話に出てくる鬼のように、肌の色も人とは違っていることがよくわかった。
(赤鬼……、なのかな)
 鬼であるということを確認してもいいのだろうか。
 セキが何となくこちらの出方をうかがっているような気がして、サチはしばし考えた。
「健康的ですね」
 とりあえず、動揺していると悟られないように、サチはそれだけを返す。
 セキはちらりとサチを見ると、またにこにこと笑う。
「サチはいい子だね」
 どう返事をするべきかわからず、サチは首をかしげながら笑ってみた。

「向こうの里、見える?」
 セキの家からしばらく歩くと、山道に出ることができた。
 見晴らしがよく、ふもとの町がよく見えている。
「はい。見えます。この道を下ればいいんですね」
「そうそう。一本道だから、案内なくても下れるよね。……どうやって迷ったのー?」
 ちょっと意地悪そうに言うセキにサチは苦笑する。
「昨日は見えなかったんです……」
「まあ、慣れてないもんね。……じゃあ、気を付けて。案内できたらいいんだけど、俺、いろいろあって下りられないんだ」
「そこまで甘えるわけにいかないんで、大丈夫です。本当に、お世話になりました。ありがとうございました」
 頭を下げるサチに、セキはまたにこにこと笑う。
「またこの辺に来たら、遊びに来てね」
「はい」
 このあたりに来ることがあればお礼も兼ねて、必ず来ようとサチは決心した。
(帰れるんだ)
 親切な人に出会ったおかげで、案外簡単に帰れそうである。
(交番、交番……。とりあえずは、連絡しないと。多分県外だよね、ここ)
 ちらりと振り返ってみると、セキはまだ見送ってくれているようだった。サチが頭を下げたのに気づき、手を振ってくれる。
 人は見た目で判断できないというが、まさにその通りだったと、サチはしみじみ思う。
(何か、本当におとぎ話みたいな体験だったな)
 誰かに話したら信じてくれるだろうか。
 気づけばいきなり山道を歩いていて、しかも鬼に助けられた話など、信じてくれる人がいるのだろうか。
(いるのだろうかじゃなくて、親にはそうやって言うしかないよな……)
 サチ自身、経験しておきながら信じられないような体験ではあるが、事実なのだからそれ以外伝えようがない。
 とりあえずはふもとの町についてから考えようと思いながら、サチは歩を進める。
(……ん?)
 山を下りながら、サチはふもとに見える町の風景がおかしなものであることに気づいた。
 藁ぶきの屋根が多いのは、単に田舎に来てしまったからだと思っていたのだが、それにしても何かが足りない。
(電線がない……。でも、田舎なら、あり得ることなのかな)
 さらに下っていくにつれ、サチはより違和感を覚え始めた。
(何でみんな、甚平みたいな服着てるの……?)
 人の姿がちらほら見え始めたことに安心感を覚えることができなかった。
 サチの視界に映るのは、日本史の資料集に出てくるような、時代を逆行した服を着ている人ばかり。
 ここがどこかの田舎であるとしても、あまりにもおかしい。
 そう思いながらもサチは足を止めることができなかった。
(もしかしたら、こういう地方なのかな)
 またも、無理な解釈だとは分かっていた。
 だが、その解釈を信じる以外にどうすればいいのか、サチには皆目見当もつかない。
 ふもとにつきたくないとさえ思いながら、サチは歩を進めていた。

 サチは自分がひどく場違いな場所に来てしまったような感覚を覚えていた。
(田舎……にしては、おかしい)
 たとえこのあたりが田舎であったとしても、なぜまげを結う必要があるのかサチには理解できない。
 何より、奇異なものを見るような目でサチを見て、時には悲鳴を上げて逃げ出す人がいるということも理解できなかった。
(いくら田舎でも、高校生くらいいるはずだし……。ここは、いったい……)
 その思考から逃避するようにして、サチはひたすら道を教えてくれる人と交番を探していた。
 だが、いくら探せど交番の赤いランプを見つけることはできなかったし、人に近寄れば全て逃げ出されてしまうので道を聞くこともできない。
(どうしよう)
 じわじわと、恐怖がサチの胸に上ってくる。
 見知らぬ場所に来てしまったと思っていたが、場所だけではなく、時代さえも違ってしまっているとでもいうのだろうか。
(あり得るわけない、あり得るわけ……)
 そう思いながら、自分がとんでもない場所で迷子になってしまったらしいことだけ、ようやくサチは理解し始めていた。
「あいつか!」
 野太い叫び声が響く。
 恐ろしい形相をした男性が複数名、サチの方へと向かってきていた。
 本能的に恐怖を覚え、サチはとっさに駆け始める。
「捕えろ! 役人につきだせ!」
 サチは今来た道をひたすらに戻る。
 緊急事態であることだけが理解できた。
 それ以外は、理解したくもなかった。



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