B君は鋏を探していた。 確かにいつもの道具箱へ仕舞ったと記憶しているのに、いざ使おうと探してみると見当たらなかったのである。 鋏がなければ、先ほど届いた大きな宅配物の梱包紐を切ることができない。 開封は急がないが、鋏がなければないで差し障りがある――、などと考えているあたりでA博士の蛇のような視線につかまった。 「何を右往左往しているのかね」 「鋏を探しています」 短く答えて、B君は再び床に目を落とす。 A博士はきょろきょろと綺麗なフリーロングを見渡し、また机の上に目を遣った後思案顔でつぶやいた。 「しかしどこにも見当たらないな」 「ええ、そうですね。果たしてどこへ行ったのか」 「なるほど私も手伝おう。その荷の中身は私の注文した本なのだ」 これは案外、と思いながらB君は戦力の増加を喜び、いつもB君が陣取っている客間のあちこちをA博士と共に探した。 「……」 はあとため息を吐いたA博士が、B君に問いかけたのは、それから十五分ほどしてからだった。 「B君。――その鋏とやらは、確かに存在したものなのかね」 「勿論です。持ち手は黄色で――」 「ふむ。しかし私はその鋏を見つけられぬ。ということは、その鋏は実際には存在しておらず、君が『存在している』と勘違いしているだけだった可能性もあるのではないかね」 「いいえ。確かにこの間まで使っていましたし、何なら購入した店も分ります」 B君は、頓狂な問いかけを押し流そうと冷静に答える。 A博士は深くうなずき、ニヤニヤと笑う。 「ほほう購入したと。購入したのだね。その購入したというのが、君の空想でない証明はできるかね」 「今はないですが、レシートがあれば」 「その、レシートをもらったということはどのようにして証明するのかね」 「……はあ……」 B君は、A博士が捜索に疲れるあまり、悪癖である演説を始めたのだと悟った。 A博士は、B君の呆れかえった顔に気づき、軽く首を振って片眉を上げてみせる。 「いやいや、少し意地悪をした。万が一レシートが存在したとしよう。あるいは確かに君が昨日、鋏の所在を確認していたとしよう。しかしその全てが空想、妄想、虚偽の類でないとの証明はできはしないのだ。何故なら第三者たる私が見て、ここに鋏は存在していないのだから」 「はあ」 「無論、第三者たる私の目が確かなのか疑問はあるだろう。そして君が鋏を買うのを見届けた店員がたまたま君のことを覚えていたことで証明ができるとしよう。しかしそんなことは一つも証明たりえないのだよ」 「……はあ」 「何故ならその店員が、そして私が、この世界が、君の妄想空想の一つでないという証拠はどこにもないからだ。鋏にせよこの世界にせよどのようにして『存在』を証明するのかね――」 「……博士」 「何だね。優秀な弟子たるB君よ」 「お召しになっている白衣の左胸ポケットに手を入れていただけますか」 「ふむ、いいだろう優秀な弟子よ――」 博士はその蛇に似た顔に得意げな表情を浮かべながら、自らの白衣の胸ポケットに手を入れる。果たしてB君の予想したとおり、探し物たる黄色い柄のついた鋏が、そこから現れた。 B君は責めるでもなく冷静に、ただ冷静に一言「ありがとうございます」と伝え鋏を受け取る。 ぱちん、ぱちんと音がして、青い梱包紐が切られた。 多くの本が段ボールから顔を出す。 「博士、ご注文の本にお間違いはないですか」 「素晴らしい」 「はあ」 果たして何への賞賛か、注文した本なのかと考えているB君に、A博士は歩み寄るとその手を取る。 「B君。君は実に素晴らしい。今、この私に鋏の存在を認めさせたではないか。君は私をもってして、鋏の存在を証明したのである」 「はあ」 「ああ、師を超える弟子か。屁理屈学の後継者はやはり君以外にありえない――」 「はあ……」 屁理屈学も、この世の中も、存在を証明できるのは何一つないと言っていたではないかという言葉は飲み込んで、B君は曖昧に頷いた。 A博士は嬉々として注文した本を抱え、自室へと向かっていく。 果たして、弟子にやり込められた恥ずかしさを適度にごまかすためにこの手を取ったのか、それとも心の底からそう思っているのか――。
(いや)
たとえそのいずれであったとしても、A博士の存在を確かに証明できないらしいこの世の中では些末なことなのだろうとB君は思い、梱包材の分別を始めることにした。 |